第50回 2001年5月16日

5月6日(日) 「ひさびさのモデル撮影」 
曙橋のスタジオで撮影があり、顔を出す。コピーライターの僕が参加してもあまり役に立たないのだけど、自分がかかわっている仕事なので見ておきたいと思い、伺わせていただいた。モデルの杉田くんはエアヘッドというバンドをやっているらしく、うちの隣室に事務所を構えているパンクバンドSOBUTというの人と顔見知りだという。カメラマンの篠原さんは十日からCOBAのジャケット撮影で、イタリアへ行くらしい。みんな忙しいんだなぁと感心。スタジオで撮影が順調に終わって帰宅。午後五時二十分に博文堂書店で妻子と待ち合わせて、店内をざっと見たあとフィクショネスへ。長新太さんの絵本を購入。店主の藤谷さんの話だと、『下北沢カタログ』はかなりの勢いで売れているらしい。めでたいことだ。昼間、妻は娘を連れて、羽根木公園へ行ってきたという。妻がお土産に買ってきてくれた「梅丘・寿司の美登利」の穴キュー巻はおいしかった。

5月7日(月) 「タトゥーの兄ちゃん」 
娘がひさしぶりの保育園へ。往路、娘に自分で歩かせると、いろんなものが気になってなかなか前に進めないので、仕方なく途中から抱っこして連れていく。午後、呼び鈴が鳴ったので出てみると、両腕入れ墨だらけのの兄ちゃんがドアの前に立っていて驚く。だれかと思ったら、SOBUTのギタリスト(だと思う)の男性だった。道路よりの窓際に干していた、布団の防湿シーツが地面 に落ちていたので、持ってきてくださったのだった。びびってしまって、すいません。
午後二時頃だったか、ワイドショー番組をつけていたら、唐組のスタッフとして、新宿の花園神社で汗を流す、高橋祐也さんが映し出されていた。なんなんだ、いったい。そんなことくらいで、とりあげるなよ。そのほかに、マラソンの高橋尚子さんと小出監督の記者会見の模様も流れていた。小出監督を見ると、イジリー岡田さんを思い出してしまう。今年の正月、ものまね番組でイジリー岡田さんが、酔っぱらった小出監督のまねをしていたのだが、それ以来、小出監督がイジリー岡田に見えてしょうがない。困ったもんだ。夕方、ファクスの番号に「世田谷サービス公社さんですか?」という電話がある。かけてきたおばさんの話では、消防署に電話したところ、うちの番号を教えられたらしいが、なんちゅう間違い電話なんだ。

5月8日(火) 「コピー書き直し」
午前十一時前から雨。それまでも曇りがちの天気だったが、少しの間でも干したいと思い、強引にベランダに出していた布団が微かに濡れてしまった。午後、中吊りポスターのコピーを書いていたら、デザイナーから電話があり、掲載商品が変わっのでそれに合わせたコピーを作ってほしいといわれる。やれやれ、できかかっていたコピーを破棄し、こ新たに制作しなくてはいけなくなった。

5月9日(水) 「フォニックスと家族写真」
妻から、フォニックスという英語の発音法があることを教えてもらう。手もとの英和辞典でphonicsを調べると、「初歩的な発音教授法、音響学」とある。聞いたころによると、アルファベットをa(エー)、b(ビー)、c(シー)、d(ディー)と読まずに、a(ア)、b(ブ)、c(ク)、d(ドゥ)と発声していくらしい。こういったトレーニングをすることによって、単語のかたちになったものを正確に発音しやすくなるという。興味がわいたので博文堂書店の二階の語学コーナーを覗いてみた。フォニックスに関する本はあるにはあったが、自分のレベルに合った適当なものが見当たらないので、何も買わずに店を出る。二階にはブルース・オズボーンさんが撮った写 真集『KAZOKU』があり、中を繰ると最後に近いページに、山崎浩一さん・晶くん・山田真理さんファミリーが写 っていた。幸福そのものを静止画像にしたような素敵な写真だった。

5月10日(木) 「クレイジー万歳!」
ドラマで借りてきた中国映画『クレイジー・イングリッシュ(瘋狂英語)』(チャン・ユアン監督、出演リー・ヤンほか、1999年)を妻といっしょに見る。中国各地をまわり、大群衆に独自の英語勉強法を説いてまわるリーさんのパワーに圧倒される。恥を欠くことをおそれず、身振り手振りを用い、大声を英語を話そうと呼びかけるリーさんは、まさしくクレイジーそのもの。映画の中とはいえ、こんなにエネルギッシュな男はあまり見たことがない。「英語を覚えて、金を儲けよう」という、ストレートなメッセージに好感を抱いた。もったいぶらないところがいい。夜、電車の中吊り広告のラフを見せるため、市ヶ谷の出版社へ行き、修正作業が発生。いったん帰宅してコピーを書き直してから、タクシーで神宮前のデザイン事務所へ行き、デザイナーといっしょに修正作業をして、またタクシーに乗って帰宅。家に戻ったのは午前四時半だった。元気づけに再度『クレイジー・イングリッシュ』を見ようかとも思ったが、やめた。眠すぎる。

5月11日(金) 「キヤノンのヤ」
昼過ぎ、デザイナーの鈴木くんと待ち合わせ、市ヶ谷の出版社へ。苦労したかいあって、修正したラフは大筋OK。広告紙面 にキヤノンの製品が出てくるのだが、編集長から「ヤ」の文字は小さくしないでくださいね、と念を押される。もちろん、了解している。通 常の大きさの「ヤ」を用いている。キヤノンの「ヤ」、富士フイルムの「イ」は小さく表記しない決まりなのだ。

5月12日(土) 「タマニハ、ニコタマ」
二子玉川のセントメリーズ・インターナショナル・スクールのカーニバルへ。ホワイトエレファントのバザーで娘の服やおもちゃ、洋書を買い、各国料理の屋台で買ったビールや焼き鳥らしきもの、ビーフンなどを食べる。途中誘っておいたアンドレス・ロペスさん一家と合流し、おしゃべりや食事を楽しんだ。で、そのあと、ロペス家の車で我が家のすぐそばまで送っていただいた。ありがたや、ありがたや。昼間からビールやワインを飲んだせいで眠くなっていたので、娘と並んで昼寝。夕方になって目が覚めてから、下北沢を散歩。途中、ものすごい勢いで自転車を漕ぐ、柄本明さんと擦れ違った。そんなに急いで、どこへ行かれるとこだったのか。


 

 

 


 

第49回 2001年5月6日

4月29日(日) 「近場でゴールデンウィーク」 
みどりの日。晴れ。こどもの城と青山ブックセンター本店へ家族で行き、そのあと周辺を散歩。僕と妻が小走りすると、娘も走って追いかけてくる。それがおもしろい。娘が走れるようになってきた。

4月30日(月) 「初シーシー」  
雨のなか、五反田の赤ちゃん本舗へ行き、娘のためのものをいろいろ購入。夜、娘がおまるを使って、初めてシーシー(おしっこ)する。一歳半の娘はすっぽんぽんになって、おしっこをしていたが、大人がいちいと丸裸になって用を足していたらすごいだろうな。

5月1日(火) 「キューバに行きたい」
娘を保育園に連れていったあと、トラブル&ティーデザインの鈴木くんに資料をファクスする。午前中、ビデオで『ビエナ★ビスタ★ソシアル★クラブ』を見ていたら、キューバに行きたくなった。なんて単純なんだろう。昼食後、もう一本借りてあったソビエト映画『動くな、死ね、甦れ!』(ヴィターリー・カネフスキー監督)を鑑賞。予備知識もなく見ていたので、映画のなかで「土佐の高知の播磨屋橋で〜」「月が出た出た、月が出たー」といった、日本の懐かしい歌が流れていたので驚いた。どちらも、想像よりずっといい映画だった。

5月2日(水) 「あんな夫婦になりたい」
下北沢の京風ラーメン屋で昼食をとっていたら、柄本明さん・角替和枝さんご夫妻が入ってこられた。美男美女ではないが(ごめんなさい)、お二人とも味があってかっこいい。ラーメンの味は、まあまあ。

5月3日(木) 「高くて旨いは当たり前」
憲法記念日(といってもピンと来ないけど)。洗濯物を干しながら、たまたまテレビをつけると、NHK教育でドラマ愛の詩アンコール『六番目の小夜子』というのをやっていた。アンコールだから、過去にやったドラマの再放送だろう。主演の鈴木杏さんがとてもかわいい。この子かわいいわね、とうちの妻も気に入っていた。午後、テレビでガンバ大阪対柏レイソルの試合をやっていた。解説の加茂周さんを見ると、いつも思い出す言葉がある。「高くて旨いは当たり前」。加茂さんが、食べ物屋について、以前そう語っていたのだ。サッカーの試合を見るのを止め、吉祥寺へ。ユザワヤ、ナイキストア、パルコブックセンター、無印良品、ロンロンを足早にまわって帰宅。パルコブックセンターで、古田敦也さんと周防正行さんの共著『古田式』を購入。

5月4日(金) 「公園ランチ」
晴れ。昼前、ライターの山田真理さんから突然電話をいただき、二家族六人で近場の公園へ出向き、お昼を食べることに。ご主人の山崎浩一さんと愛息の晶くんも元気そうでなにより。晶くんもうちの娘(はな)も、何度か会っているのに、最初は恥ずかしそうにしていた。別 れ際、はなが晶くんのほっぺにチューをした。晶くんが照れくさそうに、でもうれしそうにしていて、かわいかった。

5月5日(土) 「いいキムチ」
こどもの日(らしいことは何もしなかった)。夕方、永福町の山本さん宅へ伺い、キムチ鍋をごちそうになる。五月にキムチ鍋は暑いかな、と思っていたが、そんなこともなく、非常においしいいただいた。スープの辛さを抑えてくれたのが良かったのかもしれない。この時期でも、夜ならキムチ鍋がまだまだいけることがわかった。

 

 


 

第48回 2001年4月29

4月22日(日) 「カタカナADVANCE」
早起きして仕事をしながら、イチローの試合を観戦。イチローの打率は.378でアメリカン・リーグ三位 だという。すごすぎる。シアトルマリナーズの本拠地セーフコフィールドのバックネット裏にある、任天堂のゲームボーイアドバンスの広告にはカタカナが使われている。もちろん英語の表記もあるが、「ゲームボーイアドバンス」とカタカナで書かれているのだ。

4月23日(月) 「コピーワーク」 
ある雑誌の発売アピールする中吊り広告用のコピーを考え、デザイン事務所にメール。

4月24日(火) 「出版社でプレゼンテーション」
市ヶ谷にある某出版社へ伺い、中吊り広告を案を提案。どの案もおおむね好評で、ほっとする。読まずにたまっていた新聞を見直す。

4月25日(水) 「装丁を読む」
新宿の青山ブックセンターで買った、南伸坊さんの『装丁』を読む。南さんが装丁した本がこんなにたくさんあると知らなかった。(僕なんかが言うのもなんですが)南さんのエッセイは視点がおもしろく、文章も良い。謙虚な姿勢にも好感が持てる。デザイン事務所67(ロクナナ)の池田進吾くんから移転案内のハガキが届く。池田くんが描いた(と思われる)レッツゴー三匹の絵がめちゃくちゃ似ていて笑った。

4月26日(木) 「短いロスタイム」
早起きしてスペイン対日本のサッカー代表戦を見る。日本はよく守ったが、攻め手に欠き、一対○で敗れる。ロスタイムが表示より、かなり短かったと思う。午後、右目の瞼が腫れぼったかったので、よだ眼科へ。助手の女性のひとりが、上原多香子さんにちょっと似ていた。

4月27日(金) 「また市ヶ谷へ」
夕方、中吊り広告の打ち合わせに出席するため、市ヶ谷の出版社へ。ミーティング後、近くのカフェでデザイナーの鈴木くんとちょっと話をする。ゴールデンウィークに少し仕事がかかりそうだ。

4月28日(土) 「祝・下北沢カタログ完成」
博文堂書店で資料探しをしていたら、フリースタイルの吉田さんに声をかけられる。吉田さんは完成したばかりの『下北沢カタログ』を納入しに来たという。午後十時前から、焼鳥屋でこ助で吉田さん、新井くんと呑む。軽く呑むつもりが、思ったよりも長居してしまい、帰宅したのは午前三時をまわっていた。

 

 


 

第47回 2001年4月22日

4月15日(日) 「地味な日曜日」 
ほとんど家にいた。夕方になって買い物がてら、家族で外出。カルディーコーヒーショップの前で荒木磨稚子さんを発見。店に入る磨稚子さんをこっそり追い、陳列棚のすき間から声をかけると、びっくりしていた。

4月16日(月) 「ブルー・マンデー」
新聞で知ったが、河島英五さんがお亡くなりになったらしい。夕方、表参道のデザイン事務所へ打ち合わせに行った際、デザイナーのS君に「河島英五さんって、健康そのもののように思ってたんやけど亡くなるとは…」と僕がいうと、彼は「でも、若死にしそうな唄を歌ってじゃないですか」。ヒット曲『酒と泪と男と女』の歌詞を指しているのだろう。帰宅後しばらくして妻は近くのライブハウス「251」へ。仕事でつきあいのあるデザイナーのYさんがバンドをやっていて、そのライブを見に行ったのである。この日の朝日新聞には、ラモーンズのボーカリスト、Joey Ramoneさんの訃報も載っていた。お二人とも、ご冥福をお祈りします。

4月17日(火) 「巨大松嶋菜々子」
表参道のデザイン事務所、トラブル&ティーデザインで軽くミーティングをしてから電通 へ。ある雑誌の広告案を持っていき、打ち合わせをする。築地駅で降り、築地本願寺の脇を通 って電通に向かう途中、巨大な松嶋菜々子さんの垂れ幕広告と遭遇。超ビッグな広告が壁面 広告が、住友生命のビルを飾っている、と新聞で紹介されていたが、そうか、ここのことだったのかとびっくり。僕が住友生命の仕事をしていた時、打ち合わせのために入ったことのあるビルだった。

4月18日(水) 「編集長と意気投合」
市ケ谷にある出版社へ打ち合わせのため伺う。初対面の某雑誌編集長と、帰り際にした雑談で大いに盛り上がった。僕と同様、この編集長も学生時代、京都に住まれていたらしく、話していくうちに共通 の知り合いが何人かいることが発覚したのである。

4月19日(木) 「オケピ!一気読み」
昨日買った三谷幸喜さんの戯曲『オケピ!』をさっそく読む。かなりのボリュームだったが、楽しめた。改めて、三谷さんは会話がうまいな、と感心。上演時はチケットが取れなかったが、再演されたらぜひとも見てみたい。

4月20日(金) 「玄ちゃんの絵本」
夕方、資料探しに博文堂書店へ寄った際、二階で『コオロギさんの恋』(という題だったかな)という絵本を見かけ、手に取る。野島伸司さんが文を担当し、黒崎玄くんが絵を描いている。黒崎くんは、僕の大学時代の後輩なのだが、かなりあちこちでイラストを見かける。僕とは比べものにならないくらい活躍しているイラストレーターだ。夕方、下北沢保育園の父母会に出席。思ったより参加者が少なかった。夜、娘が寝てから、ひさしぶりに「でこ助」へ顔を出す。先に来ていたフリースタイルの吉田さんと少しおしゃべりし、吉田さんが帰ってからは店長の小林さんに話し相手になってもらう。小林さんの娘さんが着ていた服を、うちの娘用にいただく。センスが良く、状態も良好な服ばかりだった。本当にありがたい。

4月21日(土) 「ソフトウェア検定」
某ソフトウェアメーカーの検定試験を案内するリーフレットに入るコピーを書き、グラフィックデザイナーにメール。ここでいう検定試験とは、あるソフトウェアをちゃんと使いこなせるかどうか、それを試験するというものである。その試験にすれば、メーカー公認の資格を持っていることを名刺に刷る込むこともでき、就職や転職に有利になる場合もあるようだ。

 

 


 

 第46回 2001年4月15日

 

4月8日(日) 「墓地のあいだで、あいださんを祝う」 
谷中墓地で花見がてら催された、画家・会田誠さんの結婚披露パーティに顔を出す。松蔭浩之さん、サエキけんぞうさん、松本弦人さん、中ザワヒデキさん、スメリーさん、福田美蘭さん、宇治野宗輝さん、明和電機(のお兄さん、つまり社長のほう)をはじめ、かなりの人数が集っていた。サエキけんぞうさんがこの日のために作ってきたという曲まで聴けて楽しかった。帰宅後、ごはんを食べているとき、娘が初めて「おいしい」と発した(正確には「おいちい」という感じだけど)。

4月9日(月) 「ジョー樋口がお父さんとはすごい」 
 朝、娘を保育園へ送る途中、何度かお目にかかったことのある日暮恵子さんに声をかけられる。午前中、パワーブックの修理代を電話で確認したところ、思いのほか高くショックを受ける。昼食後、たまたま『徹子の部屋』をつけると、NHKの朝のドラマ『オードリー』に出演していた俳優の菊池隆則さんが出ていた。菊池さんのお父さんは、プロレスのレフェリーをしていたジョー樋口さんだそうだ。知らなかった。ジョー樋口さんといえば、全日本プロレスだったかな。

4月10日(火) 「発熱とブラッシングと本塁打」
朝、娘が自分の髪をブラッシングしていたので、びっくり。まだ一歳五カ月なのに、早熟ではないだろうか。それはともかく、妻が三十八度八分の発熱。二日前から微熱はあったのだが、ついに、である。買い物に出た際、ファミリーマートのおじさんから、toto三等を当てたと聞かされる。ただし、1,600円買って370円も配当だから、なんのこっちゃ、だけど。午後、娘を北沢タウンホールへ連れて行き、二度目のポリオ予防接種を受ける。夜、見るつもりはなかったのに『新・お水の花道』を見てしまう。きょうは新庄選手が初ホームランを打ったが、阪神タイガースは二対○でヤクルトに敗戦。なんだか複雑な気分。

4月11日(水) 「マジックマッシュルームは合法なのか」
ヤフーのニュースで、俳優の伊藤英明さんがえらいことになったと知る。次のような記事だ。

<人気俳優が幻覚?>伊藤英明さん、コンビニに駆け込み入院(毎日新聞)
10日午前2時20分ごろ、東京都世田谷区上用賀1のコンビニエンスストアに、近くに住む俳優、伊藤英明さん(25)が「苦しいので助けてくれ」と駆け込んで来た。救急車が駆け付けたが、意味不明の言葉をわめき暴れたため、同区内の病院に措置入院させた。
警視庁玉川署などの調べに対し、伊藤さんは「(幻覚症状が出る)マジックマッシュルームを食べた」などと話しているといい、食べ過ぎて強い幻覚症状が出たとみられる。
マジックマッシュルームは、自生のキノコ類で違法な薬物には指定されていないが、幻覚症状が出ることが知られている。
伊藤さんは雑誌のモデルなどを経て「踊る大捜査線」や「女子アナ。」などテレビの人気番組に出演。昨年は芸能部門のベスト・ドレッサー賞に選ばれた。


4月12日(木) 「畳表、をひさびさに聞いた」
昨日ニュースで見たが、ネギ、生シイタケ、畳表の緊急輸入制限(だったかな)が発表されたのには驚いた。特に、畳表という言葉を聞いたのはひさしぶりだった。最初、タタミイワシと言っているのかと思った。それはそうと、先週書いたDAFT PUNKSという音楽グループ名は、DAFT PUNKだ正解だった。きょうは打ち合わせのため、数カ月ぶりに電通 のSLタワーへ行ってきた。

4月13日(金) 「ドットコムが危ない」
ビデオに録っておいたNHKの番組『トップランナー』を見る。明和電機が出演していたので、妻が録画しておいてくれたのだ。で、その番組を見て初めて知ったのだが、明和電機は社長が交代したらしい。どうやら、前社長を勤めていた、お兄さんのほうは脱退されたみたいなのだ(番組中で「脱退」とは言っていなかったが)。お兄さんのほうを、五日前に谷中墓地でお見かけしたばかりなので、余計にびっくりだった。お兄さんは、純粋な現代美術作家になるのだろうか(あくまで、僕の想像だけど)。夜、NHKのBS番組を見ていたら、米国西海岸のシリコンバレーではドットコム企業がどんどん潰れている、と報じていた。資金繰りに苦しむ、ベンチャー企業の若き社長さんが取材を受けていた。人の心配をしている余裕は僕にはないが、少し気の毒に思う。

4月14日(土) 「メジャーリーガーは仕事の大敵」
娘を保育室へ預け、土曜返上である広告を考える。メジャーリーグのテレビ中継にチャンネルを合わせてしまったのでちょこちょこ見てしまったが、それでも懸命に仕事を進めた。夜は、ふとんの上で娘と遊んで、大はしゃぎしてしまった。

 

 


 

第45回 2001年4月8日

 

4月1日(日) 「エイプリルフールらしくなかった」
緑道で花見。の予定が、仕事が片付かないのと風邪気味なのと、ふたつの理由からキャンセル。せっかく誘ってくださった方に申し訳なかった。

4月2日(月) 「入園式」 
ドレミファ保育室から下北沢保育園への転園初日。クラスメイトにしても保母さんにしても、初めての顔ばかりに囲まれたためか、娘は給食にほとんど手をつけない。そこで僕が代わりに食べてみたら、けっこうおいしいカレーだった。もったいない。

4月3日(火) 「マリナーズ好発進」
メジャーリーグ入りしたイチロー選手の初戦をテレビで観る。強豪のオークランド・アスレチックス相手に、開幕戦からイチロー選手と佐々木主浩投手が活躍して勝つとは、ちょっと出来過ぎかも。佐々木投手の名がセーフコ・フィールドの電光掲示板に表示されたが、本来なら“KAZUHIRO”とするところを“KAZU HERO”としていた。なるほど、なるほど。

4月4日(水) 「吹越さんをよく見かける」
ひさびさに、ブリッツのグラフィックデザイナー国末くんから電話があり、仕事を頼まれる。夕方、またもや、下北沢駅前で吹越満さんを目撃。今回は、富士銀行前でだった。

4月5日(木) 「NOMO No-No」
ボストン・レッドソックスに移籍した野茂投手が今季初登板で、ノーヒットノーランを達成(ボストンの新聞は見出しで、ノーヒットノーランをNo-Noと表記していた)。野茂投手はロサンゼルス・ドジャース時代の1996年、コロラド・ロッキーズを相手に無安打無四球試合を記録しているが、両リーグでノーヒットノーランを成し遂げたのは大リーグ史上四人目だそうだ。しかも、過去のの三人はサイ・ヤング、ノーラン・ライアンなどの大々投手(残りのひとりは耳慣れない投手だった)。MTVではDAFT PUNKSという音楽グループのAerodynamicsという曲のプロモーションビデオが流れていた。オリコンに勤めている、知人の山本さんが確か、フランスのDAFT PUNKSがプロモーションビデオのアニメーションを松本零士さんにお願いした、と言っていたので、おそらく僕が見たやつだろう。椎名林檎の『真夜中は純潔』のビデオも放送されていたが、主人公の女性が、いちばん最初のルパン三世の峰不二子みたいでなかなか良かった。いま、プロモーションビデオのアニメ化が流行っているのかもしれない。

4月6日(金) 「ばかばかしさ万歳」
ケーブルテレビでやっていたレスリー・ニールセンの映画『裸の銃を持つ訪問者』を流しながら作業していたが、あまりのばかばかしさについつい見入ってしまい、仕事がはかどらなかった。レスリー・ニールセンは嫌いじゃない。

4月7日(土) 「アードマンは美術もすごい」
新宿高島屋でアードマン(ウォレス&グルミットをつくっている英国のプロダクション)の展覧会と、有楽町で開かれていた朝日広告賞の受賞作品展をはしごする。二カ所まわるだけでも、子連れでの移動はほんと疲れる。

 

 


 

第44回 2001年4月1日

3月25日(日) 「男たちとの再会」 
小雨模様のなか、目黒の庭園美術館まで行き、『ポスター芸術の革命 ロシア・アヴァンギャルド展 ステンベルク兄弟を中心に』という長い題名の展覧会を見る。会場では、娘が舌を動かしながら突然「レロレロレロレロ〜」と言い出したからちょっと困った。美術館では、子供の声は特によく響く。夜、フリースタイルの吉田さんから電話があり、新井くんをまじえて少し呑む。きょうは目黒へ行く途中、田中邦昭くんと遭遇し、帰りに静博土くんとばったり会った。両者とも、数年前に芝居で共演した男。何年も二人と顔をあわせてなかったのに、同じ日に再会するとは不思議だ。

3月26日(月) 「NAVIの人と会う」 
 旗の台で打ち合わせのあと、西麻布のAD CAMPというデザイン事務所へ。そこの取締役兼アートディレクターの鈴木道雄さんは、カー雑誌『NAVI』のアートディレクションを担当されているらしい。AD CAMPでのミーティング終了後、コピーライターのピート小林さんと西麻布交差点で合流し、ピートさんのオフィスへ移動。ピートさんといっしょにやっている仕事の資料をお渡しする。

3月27日(火) 「またも、NAVIの人」

昼、下北沢北口の「一龍」でもやしラーメンを食べ、店を出ると、昨日知り合った鈴木道雄さんとばったり会った。なんたる偶然。

3月28日(水) 「庵野秀明vs松蔭浩之」
朝、ピート小林さんと下北沢南口のドトールコーヒーで会い、仕事のことで相談をする。昼間、雑誌『BT』に載っていた庵野秀明さんと現代美術家・松蔭浩之さんの対談を本屋で立ち読み。松蔭さんのほうが目立っている感じがして、おかしかった。夕方、西麻布で打ち合わせ。夜、保育園に持っていくものを準備しながら、ビデオで映画『スチュアートリトル』を見たが、予想に反して今ひとつだった。ネズミを人間らしく見せることにばかり力を注ぎ、ストーリーや脚本が中途半端になってしまったのかもしれない。

3月29日(木) 「ラフォーレは変わらない」
朝、出田に声をかけられる。下北沢駅まで並んで歩きながら、モンドミュージック(おたがい詳しくないので、中身のない話だった)や、ラフォーレ原宿について話す。リニューアルオープンしたラフォーレ原宿は、出田の話によれば、客層が変わっていないらしい。たしか、今までよりも大人の女性をターゲットにする、とラフォーレ側は言っていたはずだが。

3月30日(金) 「ポンダリン」
徳島の親戚から、不知火ポンダリンという果物が届く。ポンカンによく似ていて、かなり甘い。外の厚い皮をむけば、中の袋ごと食べられるので、大人の僕らだけでなく、娘も食べまくっていた。実は一年間通 ってきた保育室へ行くのは、この日が最後。娘は、来週から下北沢保育園に移る予定だ。プロ野球の開幕戦・巨人対阪神を、タケちゃんをまじえてわが家のテレビで見た。僕の好きなタイガースは17対3で記録的大敗。情けないスタートとなってしまった。

3月31日(土) 「NiCAFへ」
東京国際フォーラムへ、現代美術のフェア(通称NiCAF=ニカフ)を見に出かける。会場で木梨憲武さん、安田成美さん夫妻を見かけたが、うちの妻は気づいていないようだった。超メジャーな人を、妻はいつも見過ごしてしまうのだ。会場で、出品者の松蔭浩之さんと落ち合い、松蔭さんの友人のジャンさんもまじえて、交通 会館の地下で長崎ちゃんぽんを食べる。ニカフを楽しんだあと、松蔭さんとともに表参道に移動し、ミズマアーギャラリーで開かれている、宇治野宗輝さんの個展をのぞく。米さんと松葉がギャラリーに来ていたのでびっくりした。妻と娘もいっしょに一日過ごしたのだが、宇治野さんのつくったラブアームというオリジナル楽器(なんというか、トラック野郎の電飾を付けたオートバイのような楽器)を見て、娘のはなはきょとんとしていた。驚くというより、放心しているようだった。

 

 


 

第43回 2001年3月27日

3月18日(日) 「3円コピーの謎」 
下北沢駅近くの階段で、『コメディーお江戸でござる』に出演されている俳優・魁三太郎さんと擦れ違った。魁さんは、威勢のいい口調で「駅前にカタログあるからよ」などとお子さん(と思しき子供)たちに言いながら、階段を降りてこられた。やはり、いい声。ふつうの人の声とはまったく違う。午後、永福町の知人宅へ遊びに行った帰り、車で我が家まで送ってもらった。途中、井の頭通 りで「3円コピー」と書かれたのぼりが出ている店(自費出版の会社だったかもしれない)があってびっくり。3円でコピーを取られて、利益が出るのだろうか。 

3月19日(月) 「通夜」   
妻の仕事先の営業マンの方が癌でなくなった、という悲しい知らせが入る。まだ三十六歳の若さだったそうだ。僕は電話で応対したことがあるだけで、直接お会いしたことはなかったが、本当にお気の毒だ。心からご冥福をお祈りします。妻は午後四時過ぎに家を出て、通 夜に出るため大宮へ向かった。帰宅した妻から、大宮駅前で配っていたという、大宮アルディージャについての号外をもらう。 

3月20日(火) 「日帰りで楽しむアメリカ」 
三軒茶屋のシアタートラムで、松本修さん構成・演出の『アメリカ』を観劇。原作者はフランツ・カフカ。終演後、楽屋を訪れ、俳優の佐伯新くん、小林麻子さんと少しおしゃべりする。そういえば、コニタンこと小西博之さんも見に来られていた。

3月21日(水) 「自転車80分」 
大田区北千束のビクターのサービスステーションへ行き、ビデオカメラの修理をお願いする。天気がいいので自転車で片道40分。環七をずっと走ったので、空気がつらかった。途中、「ペットのための手作りクッキーの店」というところがあった。 

3月22日(木) 「二日連続、自転車80分」 
通帳の記帳をするため第一勧銀へ行った際、店内で吹越満さんを見かける。タケちゃんから神宮球場でやっているオープン戦を見にいかないか、と誘いを受けるが、やることがあるので泣く泣く断る。受話器を置いた直後、ビデオカメラの修理が上がったとの連絡があり、北千束まで取りに行ってきたあと、娘のエプロンを縫う。オープン戦が見られなかったのは残念だが、たまにやる縫いものは、それはそれで楽しい。

3月23日(金) 「運動しなきゃ」 
朝、保育室からの帰り、構造設計家の池田昌弘さんを見かける。いったん帰宅して、すぐに自転車に乗り、世田谷区保健センターへ出向き、健康度二次測定を受ける。特にわるいところはないそうだが、運動不足を指摘される。ごもっともだ。わかってるんだけど、なかなかねぇ。帰宅後、妻の仕事の助っ人をする。運動不足でなく、「運動が余ってる」人なんているのかな。 

3月24日(土) 「渡辺計画」 
午前中から、三鷹市芸術センターへ行き、『渡辺聡展』を楽しむ。渡辺聡さんは、膨大な数のドットのシールをキャンバスに貼り、その上から油絵で風景画を描いたあと、そのドットシールをピンセットでひとつひとつ、別 の真っ白なキャンバスへ移すという、ユニークな手法をとっている画家。渡辺さんの手法だと、ドットシールの部分が白く抜けた風景画(キャンバスA)と、ドットの部分にだけ風景が描かれた(キャンバスB)の連作二点が同時に誕生する。その個展を鑑賞したあと、すぐに下北沢に戻り、昼食を済ませると、今度は本多劇場へ。大人計画の『エロスの果 て』を観劇。角川春樹という名の狂った天才少年を演じた俳優・荒川良々(よしよし)さんの存在が光っていた。 

 

 


 

第42回 2001年3月20日

3月11日(日) 「わけぎをわけてもらう」  
昼前、山崎浩一さんがご家族といっしょに、わけぎを持ってきてくださった。山崎さんのご両親がつくられたものだそうだ。それはともかく、わけぎとわきげは名前が似ている。昼頃、下北沢から吉祥寺へ。無印良品で子供用のくつを買い、ユザワヤで掛け・敷き布団カバー用の布などを購入。娘が四月から通 う公立保育園から、布団カバーをはじめ、さまざまなものを用意するようにいわれているのだ。はなが生まれて以来、子供のものにくらべ、親の僕たちが使うものは、明らかに買わなくなってきている。まあ、そのこと自体は、特に苦でもないが。 
 
3月12日(月) 「修正、修正、また修正」   
クライアントから連絡があり、某テレビ局のフリーペーパーのコピーを修正する。修正作業の合間に、いろいろな人へメール。このところ、メールの返事が書けていなかった。
 
3月13日(火) 「はんけしくん」 
一昨日、ユザワヤで買ってきた「はんけしくん」というハガキサイズの消しゴムを使って、ゴム版を制作。娘の名前を彫り、保育園グッズに捺印するためだ。カッターを手に、消しゴム版を実際につくってみると、ナンシー関さんの技術の高さがよくわかる。ちなみに、同商品はヒノデワシ株式会社というところから出ている。 
 
3月14日(水) 「縫いもの」 
いつもより早めに娘を保育室へ連れていき、夫婦で世田谷区保健センターへ。健康度測定という、有料のヘルスチェックを受けるためだ。就寝前に、娘のくつ袋に名札を縫いつける。縫いものは得意ではないが、ひさしぶりにやってみるとなかなか楽しい。 
 
3月15日(木) 「自転車で眠くなる」 
朝、娘を保育室へ。道中、娘が自分で歩きたがるので、それにあわせていると、いつもは十分ほどで到着するのに、三十分近くかかってしまう。娘はまだ小さく、歩く速度がのろいのももちろんその理由のひとつだが、少しでも気になるものを見つけると娘が立ち止まったり、脇道にそれようとするためだ。マンホール表面 の凹凸が気になる、ネコがいると追いかける、犬と擦れ違うと振り返ってバックする、といった具合。娘を送った帰り、ツクモパソコンの前で東京乾電池の中村小百合さんとばったり会う。帰宅後、妻といっしょに、自転車で新宿の東急ハンズへ。僕が乗っているマウンテンバイクにつける、子供用のイスを購入し、お店の人に取り付けてもらって帰ってくる。あまりにもひさしぶりに自転車に乗ったため、異常に疲れ、午後八時半に寝てしまった。体力が目に見えてなくなっている。なんとかせねば。 
 
3月16日(金) 「保母さんにちょいと嫉妬」 
前日早く床に就いたため、朝五時に自然と起床。もう一度寝ようかなと迷ったが、せっかくだから起きていることにする。読んでいなかった新聞に目を通 したり、totoを予想したりして過ごす。娘を送っていった際、保育室のトモコ先生と下北沢西口前でたまたま会い、娘は先生に手をひいてもらうことに。歩くとき、僕が手を握ると、娘はすぐに放そうとするのに、トモコ先生だと違った。先生の手を握ったままニコニコして歩いているのだ。僕としては少しがっかりし、ちょっと悔しかった。三人で保育室に着くと、トモコ先生が「きょうは同伴出社なの」といいながら入っていったので笑ってしまった。 
 
3月17日(土) 「ぐるぐるすると大人も楽しい」 
川崎の岡本太郎美術館へ。岡本太郎の常設作品も見たかったが、それ以上に楽しみにしていたのが、小沢剛×中山ダイスケのクロスカウンターの題された二人展。公園で見かけるような、ぐるぐるまわる鉄製の地球儀のような遊具(懐かしい!)を小沢さんがつくっていて、グローブジャングルと名付けていた。これが実際に乗ってもいいようになっていて、うちの娘はきゃっきゃっ騒ぎ、降ろそうとすると怒るほどの、たいへんな気に入りようだった。 

 

 

 


 

第41回 2001年3月20日

3月4日(日) 「こんばんは、俵孝太郎さんです」 
totoの資料を読み、仕組みをなんとか理解する。といっても購入方法がわかっただけで、的中に近づいたということでは断じてないが。下北沢の南口商店街で俵孝太郎さん、駅の階段で岩松了さん(見間違いかもしれない)と擦れ違う。夜、レンタルビデオ店のドラマで借りた『ウォレスとグルミット チーズ・ホリデー(原題/Wallace&Gromit A Grand Day Out)』『101』を見る。前者は娘といっしょに見たのだが、彼女は犬のウォレスが登場すると、「ワンワン、ワンワン」と叫びながら画面 を指差し、かなり興奮していた。後者に登場する百一匹のダルメシアンも見せてあげたかったが、娘はその前に寝てしまった。『101』はストーリーは単純だったが、ダルメシアンをはじめ動物たちがかわいく、主役のグレン・クローズの怪演ぶりも笑えた。狂気じみた演技(楽しそうに演じていた)を見ているうち、『バットマン』のジャック・ニコルソンを思い出してしまった。 
 
3月5日(月) 「東京きっちんという名は八十年代的な雰囲気」  
朝、娘が下痢大爆発。昼食は、下北沢にオープンしたばかりの定食屋チェーン「東京きっちん」ですませる。味に期待はしていなかったが、予想通 り、今いち。なぜか、東京プリン(音楽ユニットだっけ?)を思い出してしまう。その後、うちに戻ったとたん、タケちゃんがふらっと来る。タケちゃんをまじえ、またもや『ウォレスとグルミット チーズ・ホリデー』を見る。夕方、某テレビ局へ行き、連続ドラマのプロデューサーと会い、四月からの新番組について聞く。 
 
3月6日(火) 「ゲリー・ナンドーモ」 
朝から副島クリニックへ娘を連れていく。起きてから七回も下痢を繰り返す娘が、心配になって病院へ診せに行ったところ、案の定、「きょうは保育園を休ませてください」と先生にいわれてしまう。某テレビ局のフリーペーパーに入るコピーを書かなきゃならないのに、娘をみながらだと、あまり進まない(こんなこといって、ごめんね、はなちゃん)。困った。妻は妻で、携帯電話がらみのパンフレットをつくる仕事を受けており、やはりコピーを書かねばならない。夜、仕事の合間にヤフー・ニュースをチェックしていたら、次のような記事があった。 
 
プロデューサー、つんく(32)は「新メンバーからと決めていましたが、タンポポでの経験で自信をつけた石川が、カントリー娘。とのジョイントによって、モー娘。での経験を生かしてくれると考え、決めました。ひらめきの部分も大きい」と説明する。ユニット名も「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」。デビュー曲「初めてのハッピーバースディ!」はディスコ・クラシックを基調としたダンスナンバー。石川は「新しいチャンスをもらえてうれしい。自分にプラスになるよう、精いっぱいがんばります」と張り切っている。カントリー娘。のりんね(20)とあさみ(16)も「私たちにとっても心強い」と大歓迎だ。(サンケイスポーツ2001年3月6日より) 
「カントリー娘。」「モー娘。」のように、固有名詞が 「。」で終わっていると、文章に混ざったとき、読みにくくてしょうがない。 
 
3月7日(水) 「書き文字」 
タケちゃんの仕事を手伝う。さまざまな太さのマジックを使い、手書き文字をたくさん書いてファクスする。 
 
3月8日(木) 「イヤな一戸建て」 
タケちゃんから連絡あり。クライアントとの相談の末、僕が書いた手書き文字は使わないことになったらしい。おいおい、あんなにたくさん書いたのに。フリースタイル・ホームページのトップに、吉田さんがうちの隣地にできる一戸建てについて「不正建築は許さない」みたいなことを書いてくれていた。そういう声がありがたい。だけど、おそらく不正というか、違法建築ではないと思う。うちの建物も四階建てだし、四階建ての住宅をつくっても法律上の問題はないのだろう。とはいえ、三階建てと口頭で言っていたわけだから、やはり腹立たしい。この日は一日中、某テレビ局発行のフリーペーパーのためのコピーを書いていた。 
 
3月9日(金) 「テレビ局へ」 
何日か前に届いた『ディレクターズマガジン』という雑誌を見ていて、次号予告の特集タイトルに笑った。「ザ・納品」の名だったのだ。昼食後、突然、猛烈な下痢に襲われ、代沢診療所へ行き、注射を打ってもらい、下痢止めの薬と整腸剤をもらう。病院を出て家に戻ると、郵便局員の兄がすでに来ていた。大阪から出張で千葉へ来ていたのだが、下北沢で一泊してから帰りたい、という連絡を受けていたのだ。夜、四月からはじまる新しいバラエティー番組の内容や狙いをうかがうため、某テレビ局へ。プロ野球中継や箱根駅伝の中継を担当していたという、おしゃべりなプロデューサーから興味深い話が聞けた。夜、ビールを飲みながら、兄と話す。兄とこんなにゆっくりしゃべったのは、いったいいつ以来なんだろう。 
 
3月10日(土) 「東京駅へ」 
起床と同時に、昨日の取材内容をもとに、フリーペーパーに載せる原稿を書き、デザイナーの山ちゃんにメール。家族で、大阪へ帰る兄を見送りに東京駅へ。娘は、新幹線のホームにある待合室の自動ドアを何度も開け閉めして喜んでいた。ただ、気になった点がひとつ。十キロにも満たない一歳児が乗っても開いてしまう自動ドアというのは、危ないかもしれない。 


 

 

 

 


 


第40回 2001年3月5日

2月25日(日) 「梅とワイン」 
昼間、コピーライターのアンドレスさん夫妻を誘い、梅まつり最終日の羽根木公園へ。アンドレスさんの奥さんのカヨさん、息子さんのレナンくん、それに我が家三人でおしゃべりしたり、ボールを蹴ったり、シャボン玉 遊びをしたりする。近くのコンビニで買ったなんてことのないワインも、戸外で呑むとけっこううまく感じられるから不思議だ。夕方、タケちゃんがカレンダーを受け取りに来たので、うちで一緒に食事する。 
 
2月26日(月) 「久しぶりの松本清張」   
朝、妻が副島クリニックへ娘を連れて行く。風邪のためだ。隣のワンルームマンション建設現場では足場の解体がはじまった。昼間、某テレビ局の二時間ドラマを宣伝する、新聞広告の仕事を受注。さっそくその原作本を下北沢の古書店で買ってきて、明け方までかかって読む。 
 
2月27日(火) 「片付けは準備より早いのだ」 
隣の建設現場では、工事関係者の事務所用に設置されていたプレハブが撤去された。クレーン車が来て、プレハブをばらさずにトラックへ積み、運び去っていった。洗濯物を干しながら、ちらちら見ていたが、あっという間の出来事だった。昼食後、タケちゃんの仕事を少し手伝う。夕方、家の近くで、声をかけられたので振り向くと、カヨさんと愛息のレナン君だった。 
 
2月28日(水) 「へんの字がへんだった」
朝、副島クリニックへ娘を連れて行く。娘の体調はかなり良くなってきた。昼前だったか、(ほんとの)真どなりに建つ一戸建ての建築説明に、施工業者、設計事務所の人間が来る。前にちらっと聞いたときは木造の三階建てだといっていたのに、鉄骨四階建てに変わったと聞き、頭に来て文句をいう。このあたりは建坪率八十パーセントらしいが、敷地いっぱいに四階建てなんか建てられたら、陽当たりは今にもましてわるくなるし、またもや工事の騒音に悩まされるのかと辟易する。その一戸建ては、一階を雑貨屋にして、二階から四階を住居にするとのこと。そんなところの雑貨なんか買ってやるもんか、という意地悪な気分になってしまう。先週のこの連載のなかで、フリースタイルの吉田さんに新刊本『英語で日本語を考える 単語編』をいただいたと書いたが、「へん」の字が違っていた。正解は『英語で日本語を考える 単語篇』。吉田さん、申しわけない。 
 
3月1日(木) 「隣の一戸建てはやはり気になる」 
昨日の建築説明のなかで気になる点があったので、藤沢市にある設計事務所に電話。ところが、だれも応答に出ないので、施工業者へファクスしておくことにした。数時間後、返答がファクシミリで届く。詳細について、改めて説明に来るそうだ。 
 
3月2日(金) 「幻の雪」 
早起きして、シアトル・マリナーズ対サンディエゴ・パドレスのオープン戦を見る。一番ライトで先発出場したイチロー選手は、三打数一安打。パワー負けしているようにも見えたが、初試合としてはわるくなかったのかもしれない。このゲームのため、午前六時前くらいに起床したのだが、目覚めてすぐ外を見ると雪がかすかに降っていた。「明け方、昨夜からの雨が雪に変わってたで」といっても、妻は信じてくれなかったが。寝ぼけていた僕が、雨を雪に見間違えたのだろうか。 
 
3月3日(土) 「あ・い・うーは保育園で大人気」 
娘が昨夜から下痢気味なので、副島クリニックへ連れていく。途中、自転車に乗ったモデルの鮎川陽子さんと擦れ違う。受診後、信濃屋で弁当を買って戻る途中、遊歩道で、コピーライターの日暮真三さんご夫妻と孫娘のジュニハちゃんをお見かけした。Seagull Screaming Kiss Her Kiss Herという長い名前のロックバンドをしているお嬢さんがレコーディングのため、ニューヨークへ行っているらしく、帰国するまで二人でお孫さんの面 倒をみられているそうだ。ちなみにお父さんの日暮真三さんはコピーライターとして有名なだけでなく、NHK教育の番組「おかあさんといっしょ」で流れている『あ・い・うー』という歌の作詞もされている。  

 

バックナンバー

 


 第39回 2001年2月28日

2月18日(日) 「ベビーフェンスとベビーフェイスは似ている」  
家族三人で渋谷へ出る。東急百貨店本店の永坂更科でそばを食べたあと、東急ハンズをぐるりと見て、眼鏡屋のグローブスペックスへ。以前購入した眼鏡がずれ落ちやすくなっていたので調整してもらってから、五反田の赤ちゃん本舗へ。ベビーフェンスを買って帰宅。夜、本棚と本棚のあいだにベビーフェンスを取り付けた。 

2月19日(月) 「シーガイア倒産」 
夕刊でシーガイア倒産の記事を知る。僕はシーガイアどころか九州に行ったことがないので、いまいちピンと来ない。お金をかけずぎたわりに売り上げが予想を大幅に下回ったのだろうが、計画が甘かったのだろう。だいたい、今どき高すぎるんじゃないか、ホテルの宿泊料が一泊三万円を超すというのは。朝日新聞には他に、「えひめ丸事故 日本人はなぜ捜索にこだわる 死生観の違い浮き彫り」という見出しが目についた。事故から十日を経ても捜索を続けてほしい、という日本側に対し、米国の記者は「日本の家族はなぜそこまで捜索にこだわるのか」と不思議がっているらしい。生存の可能性が極めてうすいとしても、捜索を続け、せめて遺品だけでも見つけて欲しいと思う気持ちは、多くの日本人にとって理解できるものだろう。海難事故の場合、大規模な捜索を三日以上続けることはまれ、だというアメリカ人はもっとドライなのだろうか。いずれにしても、沈没したえひめ丸を引き上げてほしい。 

2月20日(火) 「はっさくケッサク」 

ひたすら、三○一号室から二○一号室へ荷物を移動させる。その合間、運送会社の人に来ていただき、コピー機を運んでもらう。コピー機はかなりの重さなのだが、運送会社の人はいとも簡単に、二人で持ち上げていた。三○一号室から二○一号室までと、移動距離が近いためか、ものの三分で運搬作業が終わってしまった。これでは、運搬料を支払うのが惜しい。時給に換算したら、むちゃくちゃ分がいい仕事だろうな。夜、娘が猛烈な勢いではっさくを食べるので大笑いする。妻と僕が必死で剥いても追いつなかないくらいハイピッチな食べっぷりだった。 

2月21日(水) 「ゴジラ延期」 
日本テレビのホームページを見ていたら、こんな文面に出くわした。「ハワイ・オアフ島沖で起きた「えひめ丸」の沈没事故に類似する場面 があり 日本テレビでは、3月2日の金曜ロードショーに予定していた「ゴジラ」の放送を延期することを決定しました」。当然といえば当然かもしれない。それならば『タイタニック』だって、しばらくはダメだろう。午後三時半、会計士の藤巻さんが来て、確定申告の打ち合わせ。午後四時半に家を出て、麹町でテレビ局のプロデューサーから、四月スタートのドラマに関する話を聞く。 

2月22日(木) 「単語篇、出来」 
夕方、フリースタイルの吉田さんが突然来て、出来上がったばかりの新刊本『英語で日本語を考える 単語篇』をくれる。平野甲賀さんによるデザインもいいし、タイトルや帯のコピーも前作を踏襲してしてわかりやすい。一作目と並べて平積みされれば、けっこう売れるんじゃないだろうか。 

2月23日(金) 「ふたりの吉田」 
昼前、キヤノンのスタッフが来て、コピー機のメンテナンス。午後四時、荷物をすべて運び終え、不動産屋に鍵を返却。午後五時すぎ、タケちゃん(吉田健)が仕事の相談に来た。ちょうど時間が空いていたので、一緒に資料探しのためヴィレッジヴァンガードとフィクションネスへ。フィクショネスでは、昨日顔を合わせたばかりのフリースタイル吉田さんと遭遇。その後、うちに帰ってタケちゃんをまじえて夕食。何度も会っているためか、娘はタケちゃんを見て、けっこう喜んでいた。 

2月24日(土) 「まだまだ寒いのだ」 
ここのところ暖かかったが、冬らしさが逆戻り。仕事が片付かないので、娘を保育室で見てもらう。妻と一緒に、某映画賞に関する新聞広告を考える。 

 

 

 


第38回 2001年2月28日

2月11日(日) 「そうだ、調布行こう」 
建国記念日。左目の調子がわるく、緊急医療機関を電話を調べて、当番医の眼科を探す。結局、いちばん近くの休日当番医である、調布の松山眼科へ。他は、八王子とか板橋だったので、調布がまだ比較的近かったのだ。最初、電話で調べたとき、オギクボ眼科というところがやっていることを、コンピューター音声が教えてくれた。そのため、そこへ行こうかとも思ったが、オギクボ眼科に直接電話してみると、杉並区の荻窪にある眼科ではなく、八王子にあるオギクボ眼科だったのだ。まったく紛らわしい。松山眼科で受診後、調布パルコ五階のパルコブックセンターに立ち寄り、雑誌『リビングデザイン』を購入。帰宅後、巻頭に掲載されている山崎浩一さんと山田真理さんによる、子育てに関する夫婦対談を読む。 

2月12日(月) 「五度目の結婚記念日」  
結婚記念日。妻の誕生日。家族三人でささやかに祝う。食事後、娘が歯ブラシを自分で取るようになった。ときどきだけど。 

2月13日(火) 「内見さん、いらっしゃい」 
不動産管理会社レッドハウスのシバタさんに連れられ、若い男性が三○一号室を内見しに来た。その彼の名が珍しいものだった。普天間くん。沖縄の出身だそうだ。午後、東北沢駅近くのテラス東北沢というマンションを内見。わるくはなかったが、隣地に集合住宅を建設中で、陽当たりが心気になった。夜、フリースタイルの吉田さんから電話があり、新刊本の帯についての意見を求められる。 

2月14日(水) 「荒川一万円」 
アサツーDKを屋木さんをたずねる予定が、急遽キャンセルに。屋木さんに都合がつかなくなったのだ。残念。荒川区が使わなくなった小学校の教室を月一万円で貸すことにした、という情報を新聞で知る。ひとつの教室を二分割するので、実際はまるごと借りれば月二万。それでも十分に安い。夕方、フリースタイルの吉田さんがアルルカンのケーキを手に現れたので、倉庫として借りたらどうですか、と提案。吉田さんのケーキは非常においしく、娘も喜んで食べていた。突然思いついたが、荒川区の教室を借りて、「荒川道場」を開くのはどうだろう。問題は、道場で何を教えるかだ。 

2月15日(木) 「新宿と代々木のあいだに住む男」 

三○一号室から二○一号室へ、小田急ケーブルの移設工事をしてもらう。作業に訪れた兄ちゃんは代々木に住んでいるらしく、下北沢の家賃を気にしていた。その兄ちゃんは新宿高島屋のそばに住んでいると言っていたけど、あの辺りのほうが都心だし、ここより高いと思うけどね。 

2月16日(金) 「浴槽たち」 
隣にある、建設中のワンルームマンションに浴槽が運び込まれた。うちの窓からその模様を見ていたのだが、運び込まれるピカピカの浴槽というのは、なんだか不思議だ。ひとつの部屋にすべての浴槽を入れて、八人同時に入浴できる、浴室だけのワンルームにすればおもしろいのに。夕方、リサイクルショップ「インテリアやぎの」のおじさんに来てもらい、小さな食器棚と仕事部屋で使っているシングル向け冷蔵庫を買い取ってもらった。 

2月17日(土) 「移転作業は続くよ、どこまでも」 

引っ越し準備がなかなか進まないので、娘を保育室に預かってもらい、土曜日も作業を続ける。娘は少し風邪気味で、通 園前に妻が医者へ連れて行ってくれた。

 

 

 


第37回 2001年2月12日

2月4日(日) 「推理作家の掲載されるまで」 
朝日新聞の書評の『推理作家の出来るまで』が取り上げれていた。評者は北上次郎さん。これでいっきに売れればいいのにな。夕方、北海道から東京出張に来ている親戚 、水谷透さんを呼んで、我が家で鍋を囲む。うちの娘が予想以上に、水谷さんになつくので驚く。過去に何度か会ったことがあるためだろうか。夜、風呂で娘にチンチンを鷲掴みにされる。 
 
2月5日(月) 「ハオハオ登場」  
おーなり由子さんが作詞した『ハオハオ』という曲が、NHKの長寿番組「おかあさんといっしょ」に登場。おーなりさんから話はうかがっていたのだが、楽しい歌だった。ハオハオが流れているあいだ、うちの娘はテレビの画面 に両手を当て、左右に体を揺らして踊っていた。昼間、沖縄と九州から戻ったピート小林さんから電話。早くも咲いている、沖縄の桜を撮影してきたらしい。まだ二月になったばかりだというのに、沖縄の桜はせっかちだな。 
 
2月6日(火) 「屋木さんは元気そう」 
アサツーDKの屋木さんにメールを出したところ、「ひさしぶりに会いましょう」との返事がほどなく到着。来週、ひさしぶりにお会いすることになりそうだ。午後、京王井の頭線富士見ヶ丘の賃貸物件を内見した。 
 
2月7日(水) 「脱色」 
代々木八幡の美容室『very short』で、生まれて初めて、髪を脱色して金髪にする。米国製の脱色剤を三度塗り、最後にグレーのマニキュアをつけてもらって、黄色みを少し消してもらった。脱色剤を塗るたびに三十分は待たなければならならいこともあり、ほとんど丸一日かかってしまった。 
 
2月8日(木) 「欠席」 
娘が発熱して、保育室を休む。娘は体調がわるいはずなのに、何度も何度も部屋の中を歩いて往復する。しんどいのか、大丈夫なのか、どっちなんだ。それはそうと、三階に新しく越してきたハカマタさんは感じがいい。 
 
2月9日(金) 「内見」 
娘は、熱が少しあるので保育室を休ませる。週刊住宅情報に載っていた、経堂の物件を内見。駅からも近く、間取りも広かったが、経堂に移転した場合、保育室への送り迎えが遠くなる。夫婦で話し合った結果 、経堂の物件は見送ることにした。 
 
2月10日(土) 「解約」 
思うところあって、仕事用に借りていた部屋を解約することにした。今後は、狭小スペースでSOHOと育児の両立をめざすことにする。 

 

 

 


第36回 2001年2月5日

1月28日(日) 「北から来た男」 
昼間、テニスの全豪オープンをテレビで見てアンドレ・アガシ選手を応援していたら、隣にいた娘も画面 に見入っていた。そこで、おもちゃのラケットを持たせると、サーブを打つような感じで振りはじめた。親というのはこれくらいのことで「うちの子供はテニスに向いているんじゃないか」などと思い込んでしまう、そういう生き物なのだ。夜遅く、治くんが泊まりに来た。渋谷のON AIR EASTで、ティーンエイジファンクラブのライブを見てきたらしい。

1月29日(月) 「北へ帰った男」 
治くんが北海道へ帰っていった。妻が受けた、健康食品のちらしの仕事を手伝う。夜、坂本龍一さん・後藤繁雄さんの『skmt』を読む。お金なんてできれば持ちたくない、税金の話をされると眠たくなる、という坂本氏の意見に共感を覚える。夜、娘とふたりで入浴。浴槽の縁につかまり立ちしていた娘が足をすべらせて倒れそうになり、とっさに僕の男性器にを手をのばした。びっくりして、そして笑ってしまった。たしかに棒は棒だけど、それは手摺りじゃないぞ。

1月30日(火) 「本名ゴードン・サムナー」
青山ブックセンター本店で、『小沢剛世界(ワールド)の歩き方。』をはじめ、美術書数冊を購入。宇明屋(うめいや)という店で、昼食に南蛮麺と餃子を食べるが、どちらも今いちだった。昼時とはいえ混んでいたので、もっとおいしいのかと思ったが期待はずれだった。青山ブックセンターで、ミュージシャンのスティングの半生をまとめた本を立ち読みしたところ、彼の本名はゴードン・サムナー(だっかな)というらしい。ポリス結成より前にゴードン・サムナーはジャズバンドに在籍していたことがあり、そのバンドではメンバー同士をニックネームで呼ぶあうことになっていた。そしてあるコンサートの日、黄色と黒の横縞のトレーナーを着ていたベーシストは、メンバーの一人にstingと名付けられた。stingには「(針などで)刺す」という意味があり、彼の出で立ちからメンバーは蜂を連想したのだ。

1月31日(水) 「ストップ・ユニクロ」
朝、娘を保育室へ送り届けたあと、少し散歩。成徳学園の前を通ったとき、校舎に「祝!春の全国高校バレー出場」と書かれた垂れ幕が目に飛び込んできた。僕はバレーボールに詳しいほうではないが、近くにあるこの高校がよく全国大会に出ていることは知っている。散歩から戻ると、小沢剛さんからメールが届いていた。昨夜、本を買いましたよとメールしたのだが、さっそく返事が来た。小沢さんは、2月26日から岡本太郎美術館で展覧会をやるらしい。夕方、保育室から娘とともに戻った妻から聞いたのだが、ユニクロが下北沢のダイエーにできるらしい。ユニクロの勢いはだれにも止められないのだろうか。と言っている僕も、ユニクロの商品を買ったことがあるのだが。夜、千葉県の千倉へ仕事で行ってきた、という出田がサザエを持ってきてくれたので、刺身で食べた。こりこりして、なかなかの美味だった。

2月1日(木) 「文字校正は眠くなる」

朝刊で知ったが、ガンバ大阪の宮本選手のウエストハム移籍がなくなった。その件については気の毒だが、サッカーは野球よりワールドワイドなスポーツだから、まだまだチャンスがあるはずだ。イギリス以外の国にもトライしてほしい。ほとんど一日中、某大学のパンフレットの文字校正をしていて疲れた。

2月2日(金) 「Jからアウトレットへ」

またもや文字校正の一日。昼食をとりに外出したら、近くの八百屋さんで撮影をしていた。テレビCFの撮影だと思うが、かなりの人数のスタッフが働いていた。撮影隊に脇に置いてあったダンボールボールの箱には、大量 の使い捨てカイロが入っていた。雪は降っていないが、ずっと外に立っていると寒さがこたえるはずだ。夕方、南口の商店街を歩いていたら、J.CREWの路面 店がなくなっていた。丸井のアウトレットストアに生まれ変わるらしい。夜、一昨日もらったサザエの残りを、妻がガーリック炒めにしてくれた。おいしかった。

2月3日(土) 「土曜日の妻たち」
三軒茶屋へ芝居のチケットを買いに行った。その帰り、区のリサイクルコーナーを見つけ、のぞいてみた。「譲ります」という貼り紙が何十枚も壁に貼ってあり、その中に「クリス・ラッセンのイルカの絵、二千円で」と書いてあって笑った。持ち主は飽きたのだろうか。夜、山崎浩一さん宅へ家族で伺う。うちの妻と山崎さんの奥さんが呑みに出ているあいだ、僕と娘、山崎さんと息子さんで留守番。女性同士の食事も楽しかったみたいだが、僕もビールを呑みながら山崎さんといろいろな話ができてうれしかった。山崎さんちの晶くんは、うちのはなより一カ月近くあとで生まれたのに、手足がはるかに大きい。やっぱり、男の子のほうががっちりしているものなのだろうか(考えてみれば、たしかに、保育室でも男の子のほうがたいてい手足が大きい)。

 

 


 

第35回 2001年1月31日

1月21日(日) 「児童館へ」 
雪が残っている道を歩き、新代田の代田児童館へ。初めて訪れたその施設で、たくさんあったおもちゃを使って娘と遊んだり、置いてあった下北沢歴史を書いた本を読んだりする。その帰り、下北沢の駅のそばで山下久美子さんとすれ違う。そう言えば、聞いてたなぁ『バスルームから愛をこめて』。夜、出田と松葉をうちに呼び、知人にもらったきしめんを食べる。ふたりが帰ったあと、『情熱大陸』というテレビ番組を見ていたら、イチロー選手と小山裕史さんという人が出ていた。この名前、どこかで聞いたな、という気がして考えていたら思い出した。ベースボール・マガジン社の編集者・長久保さんが以前、この小山さんに本を書いてもらっていると、おっしゃっていたことがある。小山さんは鳥取県鳥取市でスポーツジムをやっていて、「初動負荷理論」という肉体強化法を唱えているようだ。

1月15日(月) 「考える一日」
 
仕事の合間に、朝日新聞が主催する朝日広告賞に出す広告を考え、ラフをつくりはじめる。

1月16日(火) 「離婚話」

夜、朝日広告賞に提出するための作業をしていたら、突然グラフィックデザイナーのKさんが登場。忙しかったので少し話しただけだが、Kさんはもうすぐ離婚しそうだという。奥さんも知っている人なので、複雑な気持ちになる。

1月17日(水) 「大江戸線初体験」
夕方、朝日広告賞の作品を提出するため、築地の朝日新聞本社へ。大江戸線を初めて利用し、築地市場という駅で降りたら、朝日新聞はすぐだった。大江戸線は車内が狭く、特に天井が低い気がした。提出後、朝日ニュースターというCSテレビ局の取材を申し込まれたが、あまりにも突然だったのでとっさに断ってしまった。失敗、失敗。僕なんかでよければ、答えてあげれば良かった。

1月18日(木) 「ほしばれいこについて」
ユニクロの新しいカタログをコンビニで見かける。武田真二さんが表紙モデルになっていたのだが、ユニクロは有名人に頼らないでカタログを作ったほうがいい気がする。別 に、武田真二さんに恨みはないんだけれど。ネットサーフィンをしていたら、干葉麗子という名前が出てきた。千葉麗子(ちばれいこ)かと思ったら、「ほしば」だったので笑った。で、よく似ているなぁと思ったら、同一人物だった。何年前の話か知らないが、千葉麗子が干葉麗子に改名したんだそうだ。

1月19日(金) 「岸田戯曲賞が発表された」
残りの伝票を送る。夕方、フリースタイルの吉田さんが来て、いろんな話をする。夜、インターネットで岸田國士戯曲賞の発表結果 を知る。三谷幸喜さんの『オケピ!』に決定したらしい。フリースタイルから刊行された、松本大洋さんの戯曲『メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス』では、なかったみたいだ。僕も妻も期待していただけに、非常に残念だ。

1月27日(土) 「大雪の一日」

北海道の中標津から出張で来て府中に滞在している、水谷透さんの携帯電話を呼び出してみた。雪をものともせず、近くの駅まで自転車に乗り、電車を乗り継いで関内まで出かけ、カレーミュージアム(初耳だった)へ行っているらしい。きょうは東京にしてみればかなりの大雪なのだが、北海道の人からみればたいしたことはないのでだろう。外出するのにひるむ、ということはまったくなかったみたいだ。妻は、午前中に打ち合わせがあって、雪の中をしぶしぶ乃木坂の広告会社へ出かけたため、娘と留守番。二人っきりで大変どころか、遊びまくれて楽しかったなぁ。

 

 

 


 

第34回 2001年1月26日

1月14日(日) 「新宿へ」 
早朝、「オーヴン」へパンを買いに出た際、構造建築家の池田昌弘さんとばったり会う。池田さんは「今から、イギリスとオランダへ行くところなんです」と言っていた。奥様のジャッキーさんが住むロンドンに寄ったあと、オランダに飛び、劇場建設の仕事をするらしい。池田さんはオランダのある町で、劇場を建設するプロジェクトに参加しているのだ。インターナショナルな仕事ぶりを羨ましく思う。朝食のあとしばらくして、家族三人で新宿の青山ブックセンター、東急ハンズ、紀伊国屋書店をまわり、パイロットプチ(マジック)と本を数冊買う。娘のはなは、青山ブックセンターのリノリウム(だと思う)の床を這いずりまわって大喜びしていた。

1月15日(月) 「はなちゃんといっしょ、って一体?」  
突然、この日記のような文章をいったい誰が読んでくれているのかなと、ちょっと不安になる。もしかしたら、フリースタイルの吉田保さんしか読んでいないのではないだろうか。いや、小森収さんも読んでくれているかもしれない。いやいや、もしかして、吉田さんも読んでなかったりして(笑)。夕方、タケちゃん(吉田健)が突然来たので夕食をとりながら、いろいろなおしゃべりをする。

1月16日(火) 「上田義彦展に圧倒される」

昼食に寄った焼鳥屋「でこ助」の小林さんに、子供のおもちゃをいろいろいただく。シカマさん、UKのキタジマさんに会った。午後、タイメックスの腕時計のベルトが切れかかっていたので、西新宿の三井ビル十四階にあるコサ・リーベルマンへ。その後、同ビル一階にあるエプソンのギャラリーで、上田義彦さんの写 真展を見る。上田義彦さんの写真のピントがどこまでも合っているのに驚く。海辺の風景が映った写 真があったのだが、岩肌や海面が克明に撮られていて、眺めているうちに岩の表面 のでこぼこが、人間の毛穴のように見えてきた。

1月17日(水) 「クリマ展へ」

神宮前のデザイン事務所、トラブル&ティーデザインへ行き、鈴木基文くんに仕事の依頼をする。その後、鈴木くんとともにギャラリー「ロケット」へ行き、クリマ展を見る。このクリマ展、簡単にいうと、いろんなクリエーターが持ち寄った物を販売する展覧会。おもしろい物もいろいろあったがなかなか買う気にはなれず、結局トラブル&ティーがつくったバッヂを購入して帰宅した。それはともかく、クリマ展と聞いて、ラクリマクリスティーを思い出すのは僕だけかな。ラクリマクリスティーっていっても、名前を知ってるだけでどんなバンドかよく知らないけど。

1月18日(木) 「45゜初体験」
午後、トラブル&ティーの鈴木くんと待ち合わせ、池袋のライブハウス「ライブインロサ」へ。旧友の田中亨治に八年ぶりくらいで会い、鈴木くんを紹介する。春から、同店のマンスリースケジュールのデザインを鈴木くんがやることになる。ところで、田中と鈴木の打ち合わせ、って名前だけを聞いてたら地味だなー(笑)。
夜、フリースタイルの吉田さんが、僕の仕事部屋の隣室を内見に来たのでうちでビールをちょっと飲んでから、呑みに出る。途中で出田を呼び寄せ、三人で45゜というバーへ。噂には聞いていたのだが、予想以上に高級な空間で料金も高かった。でも、ル・コルビジェの椅子に座れたし、中庭も満喫できたのでよしとしよう。

1月19日(金) 「考える人、になる」

妻の弟、治くんの誕生日だったのに、電話するのを忘れていた。朝日広告賞に応募するための広告を考え、いいアイデアが浮かばないまま、一日が過ぎてしまった。

1月20日(土) 「下北沢に雪が降る」

確定申告のために伝票をまとめたり、朝日広告賞を考えたり、やることがいろいろあるので、土曜日だけど娘を保育室にあずける。夕方から、下北沢に雪が降った。保育室へピックアップに行った帰り、抱っこして歩いていると、娘は傘の下から顔を出して雪の粒を浴びていた。肌に当たると冷たいだろうに、うれしそうだった。

 

 


 

第33回 2001年1月17日


1月7日(日) 「ピーナッツはうまい」
  新宿の小田急美術館へ、スヌーピーの展覧会を見に行く。予想通り、三十代以上くら いの客が目立つ。シュルツさんの絵をまとめて見てみると、僕が思っていた以上にうまい(うまいのは、当たり前か)。改めて僕が言うのもなんだが、世界中で親しまれ ているだけあって、やはりスヌーピーは愛らしい。出口付近の物販コーナーで、ピー ナッツの作品集を買う。

1月8日(月) 「代官山でロシア人に会う」 
  家族三人で、代官山のモンスーン・カフェへ。神泉駅でピート小林さんと合流し、店まで歩く。昼食のメンバーは我々以外に、コピーライターのトム・ヴィシャノフさん と奥様の佐藤チカコさん、ロシア人のアレイクセイ・P・ラフーボさんと奥様の福田友美さん。アレクセイさんは、NHKの海外向け放送のブロードキャスターのほか、さまざまな仕事をしているらしい。アレイクセイさんの、あまりに達者な日本語に驚 く。

1月9日(火) 「くにたち天文台」
ヤフーのニュースを見ると「皆既月食は満月が地球の影にすっぽりと入り込む現象。 国立天文台によると、見られる時間は全国どこでも同じで、今回は10日午前3時4 2分から月が欠け始め、同4時49分から5時51分まで、月の全体が地球の影に入 る。月が元の満月に戻るのは同6時59分。欠け始めから欠け終わりまでの時間は3 時間17分に及ぶ(毎日新聞)」という記事があった。皆既月食がどうのこうのとい うより、国立天文台(こくりつてんもんだい)が、「くにたちてんもんだい 」に見 えてしまって笑う。

1月10日(水) 「インフルエンザNo.2」

娘を副島クリニックに連れて行き、二度目のインフルエンザ注射を打ってもらう。お しりに打ってもらったのだが、痛くて大泣きしている娘を見るとかわいそうになっ た。昼間、北海道の中標津に住む親戚から電話あり。そこの家の拳(けん)ちゃんは 小学校三年生なのだが、最近ハリー・ポッターにハマっているとか。あと、遊技王カ ードというのも、学校で流行っているらしい。夕方、保育室から娘を連れ戻った妻 に、ふたりの保母さん(あけみ先生、みほ先生)が昨年末で退職されていたことを知 らされ、ショックを受ける。年があけてから見ないなぁとは思っていたが、まさか辞 められていたとは。代わって登場した、新しい保母のくみこ先生に、娘は慣つかない らしい。保育室から帰ってくる途中、ゲームセンターの前で、妻がしまおまほさんを 見かけたそうだ。僕も何度か見かけたことがあるので、下北沢近辺にお住まいなのか もしれない。

1月11日(木) 「エンドレス文字校」
某大学のパンフレットのラフを見直して、一日が過ぎる。何十ページもある印刷物の 場合、文字校正(文字が間違っていないか、文章がおかしくないかなどを見直す作 業)をするだけで、かなりの時間を要する。数百ページもある書籍を手がけられてい る、フリースタイルの吉田さんや、編集者の小森収さんからみれば、大した量 ではな いのかもしれないが。

1月12日(金) 「渋谷へ」
昨日に続いて、某大学のパンフレットを見直し、その合間に、某シネマコンプレック のDMのコピーを考える。夕方、渋谷に出て、オフィスデポ渋谷宮益店で文具などを買 い、渋谷郵便局から仕事の書類を送る。

1月13日(土) 「またもや渋谷へ」
昨日置き忘れてきた資料を受け取りに、またもやオフィスデポ渋谷宮益店へ。その 後、パルコに入っている無印良品で、メモ帳などを購入。帰宅後、娘を遊びまくる。 娘は三、四歩くらいならあるけるようになってきたが、しっかり歩行できるまでに は、もうしばらくかかりそうだ。

 

 

 


第32回 2001年1月10日

12月31日(日) 「年越さず」 
夕方までにいろんなものを食べて満腹になってしまい、買っておいた年越しそばが、 お腹の空きスペースに入らない状態に。結局、年越しそばを食さぬまま、二千一年を 迎えてしまう。 
 
1月1日(月) 「がらがらの下北沢もわるくない」 
きょうから二十一世紀。そして、僕にとっては三十四回目の誕生日。昼間、娘を抱っこして下北沢をうろうろするが、営業している店も少なく、結局、北口のスターバックスカフェでエスプレッソを飲んで帰宅。見てまわるところは少なかったが、すいている下北沢もなかなかいいものだった。夜、『世にも奇妙な物語』のスペシャルを見る。SMAPのメンバー五人がそれぞれ主演を務めるショートドラマ五本立て、というオムニバス形式。木村拓哉さんが出ていた第三話は、奇妙な演出スタイルだなと思って いたら、CFの演出や映画『PARTY7』などで知られる石井克人さんが脚本・演出を手がけたものだった。エンドロールに石井克人さんの名前を見つけて、妙に納得してしま った。 

1月2日(火) 「ロボコップからアトムへ」 
家族三人で、北沢八幡宮へ初詣。おみくじを引き、写真を何枚か撮る。おみくじの結果 は、僕が中吉、妻は吉、娘のぶんは引かなかった。テレビを観ていたらANAのテレ ビCFをやっていて、そのなかで、吹越満さんが鉄腕アトムに扮していた。実写 の鉄腕 アトムかぁ。近くでよく見かける俳優さんを、正月からメジャー企業のコマーシャル で見る、というのもなんか不思議な感じだ。吹越さんは昔、ロボコップに扮するネタ を舞台でやっていたが、今度はアトム役。メカっぽいのかな、あの人。よくわからな いけど。 
 
1月3日(水) 「笑える大学、って楽しそうだ」 
昼間、千代田線車中で、産能大学の広告を見たのだが、そのキャッチコピーが「4年後に笑える大学。」というものだった。入学した人が笑えるのか、笑われるのか、一 瞬わかならなくて笑った。「4年後に笑われる大学。」だったら、もっとおもしろいのに。もうひとつ、代々木上原駅構内の看板に、あいおい火災(だったと思う)の看 板を見つけたが、そのキャッチコピーは「大東京千代田火災には、しませんでした。」というもの。大東京火災、千代田火災というふたつの会社が合併したことを看板で訴求しているのだが、「しませんでした」と、否定形になっているのがおかしい。ところで、なぜ、あいおい火災なのだろう。夜、サッカーの日韓オールスターズ 対世界選抜オールスターズ戦をテレビで観る。スコアは一対一で引き分け。ゴールシーンをもっと見たかったが、ゲーム自体は思ったより楽しめた。自然と、僕と同い年のカズを応援してしまった。しかし、(当初、来日予定メンバーに入っていた)ジダンを見たかった。 
 
1月4日(木) 「多忙なしりあがりさん」 
朝から国立小児病院の皮フ科を訪れ、娘の肌にできている湿しんを診てもらう。病院開き(という言い方があるかどうか知らないが)ということもあって、診察までにかなり待たされる。女性の先生に診察してもらったが、娘の湿しんが治りかけていたので、詳しいことはわからないとの返事。全身に一日三度塗る保湿クリームと、赤くなっている部分に塗るステロイドが少し混ざったクリームをもらい、とりあえず様子をみましょうということになる。その夜、突然、建築設計事務所に勤める出田が遊びに 来た。代々木上原駅のそばにかなり広い土地があり、某ゲームメーカーの社長がそこを買おうとしている、という話を前に出田から聞いたことがある。あの土地、結局だれが買ったの、と出田に聞くと、ユニクロの社長が買ったみたいですよ、という返事。ユニクロの社員寮や研修施設でも建てるんじゃないだろうか。それはそうと、高橋源一郎さんによる、朝日新聞の連載小説の挿し絵が、松本小雪さんからしりあがり寿さんに変わった。何かあったのだろうか。しりあがり寿さんは、同じく朝日新聞の 夕刊で連載している、宮沢章夫さんのエッセーでもイラストを描いている。朝日は、しりあがりさん好きなのだろうか。まあ僕も、しりあがりさんのイラストや漫画は好きだけど。 
 
1月5日(金) 「保育始め」 
保育室、再開。休みが長かったので娘はかなりとまどうかな、と少し心配だったが、 保育室に入ったとたん、 娘は保母さんのもとへ突進する。正月明けの保育室初日だいうのに、ほとんどの子供 が揃っていて驚いた。夜、娘が初めて、五歩もあるく。娘は年末に体調をくずしてい たが、もうほとんど全快に近く、食欲もかなり戻ってきている。 

1月6日(土) 「He loves IZAKAYA」 

娘がまたも、五歩あるく。コピーライターのピート小林さんに誘われ、午後六時に恵 比寿へ。やはりコピーライターをしているトム・ヴィシャノフさんとその奥さんのチカコさんと一緒に食事をするためだ。トムさんご夫妻の希望で、ガーデンプレイス寄りの居酒屋JYU(じゅう)へ行き、おしゃべりと料理を楽しんだ。トムさんは昨秋からハワイのマウイ島に移り住んでいて、年末に日本へ戻ったばかり。奥さんは代官山に住み、都内で勤めている。極めて仲がいいのに、今は別 居しているのである。おふたりとも、大の居酒屋好き。 

 

 

 


 



第31回 2001年1月7日

12月24日(日) 「イブはロマンチックどころか」 
娘が昨日から下痢をしているのだが、これがなかなか止まらない。結局、この日、娘 は十三回も「大」をしてしまった。しかも、水っぽいのを。そんななか、急ぎ仕事として頼まれたラジオCMを、へとへとになりながら考える。

12月25日(月) 「発熱するワイフ」  
朝、娘の下痢が続いているのに、今度は妻が発熱してノックアウト。妻が体温計を脇 にはさむと三十八度五分もある。妻が弱っているのに申しわけないと思いつつ、ダイエーで買い物を済ませたあと、雑誌広告の打ち合わせに出た。ミーティング中、イラストレーターのYくんの口から「僕、◯◯さんをリストペクトしてるんですよ」とい うセリフが飛び出す。このリスペクト(respect)という言葉、雑誌などでときどき 見かけるが、日本語の会話のなかで使うのはどう考えても変じゃないかな。ふつうに 「◯◯さんを尊敬してるんですよ」と言えばいいのに、と思ってしまう。このリスペ クト、ヒップホップ系の人なんかが特に頻繁に用いているんじゃないかな。といって も、Yくんはヒップホップ系という雰囲気ではないけど。

12月26日(火) 「ノキアの国の人」

近くのディスカウントショップの店頭の携帯電話売場で、ノキアの製品を探している (らしい)外国人男性を見かけたので話しかけてみた。というか、彼がノキアの電話 を試したがっているんだろうと思って、僕が愛用しているノキアの携帯電話を見せたあげたのだ。すると、その男性は、ノキア(スウェーデンだったかノルウェーだった かフィンランドだったか)の本社に勤めている人で、奥さんの母国である日本に遊び に来ていたらしく、僕の携帯電話を見てとても感激していた。ようするに、日本でノキアが愛されているのかが気になっていたみたいなのだ。よく見ると、その男性が着 ていたブルゾンにもセーターにも、持っていたリュックにもノキアのロゴが入ってい て、その愛社精神に今度は僕がびっくり。それらのアイテムは非売品らしく、ちょっと羨ましく思った。夜、YAHOOでニュースを見て驚いた。来年一月三日に予定されて いる、サッカー世界選抜対日韓代表の試合のチケットが払い戻されることになったらしい。理由はジダン、マルディーニ、レオナルドなどセリエA 所属の人気選手が来日しなくなったためらしい。しかも、払い戻しはするのに、試合は中止しないという異例の事態。チリのGKチラベルトやドイツのマテウス(ロゼじゃないです)などは予定通 り来るらしい。

12月27日(水) 「忘年会キャンセル」
年内にアップしなくてはいけない仕事が終わらず、付き合いのあるデザイン事務所の 忘年会を欠席してしまった。残念、というか申しわけない。

12月28日(木) 「保育室ファイナル」
保育室がこの日で、年内終了。明日から一月四日まで冬休みに入るのだ。

12月29日(金) 「国分寺で忘年会」

午後から、作家のおーなり由子さん、イラストレーター・絵本作家のはたこうしろう さんのお宅へ、家族三人で伺う。忘年会に呼んでもらったからだ。グラフィックデザ イナーやイラストレーターの人たちが集い、おいしい料理と楽しいおしゃべりを堪能した。

12月30日(土) 「20世紀シゴト納め」
午前中、某大学のパンフレット用のコピーをようやく書き上げ、デザイナーの方にテキストデータをメール。これで年内の仕事がやっと終了。夕方、家族そろって表参道 のクレヨンハウスへ絵本探しに行き、四冊購入。この年末年始は遠出しない予定なの で、ひさしぶりに下北沢で正月を過ごすことになりそうだ。

第30回 2001年1月7日

 

12月17日(日) 「鮭を肴に酒を呑む」 
夕方、家族で近くの大西さん宅へ。蛤が入った鍋をつつき、おいしい鮭をいだだく。 ビールも良かったが、大西さんお奨めの日本酒「田酒(でんしゅ)」もうまかった。 僕はめったに日本酒は呑まないのだが、この田酒は辛くなく、マイルドな味わいで口 当たりも抜群で、ビール党の僕でもすいすいいけてしまった。

12月18日(月) 「狂った。果実で」  
朝から品川区旗の台で、某大学のパンフレット制作ミーティング。旗の台駅前の「こ うしえん」という名のラーメン屋で食事を済ませ、午後二時前に帰宅。戻る途中、下 北沢南口でまたもや吹越満さんと擦れ違う。夕食時、娘にラ・フランスをあげると、 奇声を発ながら狂喜乱舞。昨夜の帰り際、おいしい果実をくれた、大西さんに感謝。

12月19日(火) 「娘とお留守番」
急な仕事のため、妻が夜、仕事の打ち合わせに出ることになる。そのため、夕食をと ったり、風呂に入ったりしながら、娘と二人で留守番をする。出産後、妻は夜に外出 することがほとんどなくなったので、僕と娘だけで留守番、というのは珍しい。大変 だったけど、楽しい一夜だった。

12月20日(水) 「コピー機をもらうと、あとが恐い」

朝刊で劇作家・演出家、如月小春さんの死を知り、妻と二人して驚く。如月さんの舞 台を見たことはないが、如月さんの育児のことを何かで読んだり、子供向けのワーク ショップを催されていたことは知っていたので、気の毒に思う。ご冥福を心からお祈 りする。昼前、コピー機が故障し、メンテナンスの人に電話をするが、年内は忙しい のでいつ来てくれるかはっきりしない、との返事。人からいただいたコピー機なの で、かなり老朽化しており、さまざまな故障を予想していたとはいえ、やはり働かな くなると痛手である。

12月21日(木) 「新聞広告は楽しい」
テレビ番組をアピールする新聞広告のコピーとビジュアルアイデアをデザイナーにフ ァクスし、電話でやりとりをする。新聞広告の仕事は、時間がかかることが多いけ ど、楽しいから好きだ。

12月22日(金) 「インフルエンザは痛そうなのだ」
朝、病院へ娘を連れて行く。双子の女性タレントFLIP FLAPの二人組を、近くのスニ ーカーショップの前で目撃。二人とも小柄だったけど、テレビで見るよりかわいかっ たなぁ。

12月23日(土) 「修正、修正、また修正」
某代理店からの仕事に、何度も修正が入り、四苦八苦する。フリーのコピーライターという立場なので、土曜日に仕事があるのなどは当たり前だが、なんというか、修正 の内容が細かすぎて、しかも何度も何度も修正を要求され、どっと疲れた。

第29回 2000年12月19日

12月10日(日) 「代沢レコード発見」 
左目の調子がわるく、日曜日にやっている眼科を探して、朝から中野の栗原医院へ。 夕方、北沢タウンホールのらぷらすへ。その途中、ハイラインレコーズに立ち寄り、 代沢レコードというレーベルがあるのを知り、笑ってしまう。代沢というのは僕がいま住んでいる町名なのだが、その代沢発の音楽を発信していくらしい。代沢サウンド に、いったいどんな特徴があるんだろう。トモフスキーが新譜をそのレーベルから出していた。

12月11日(月) 「店長からの電話」  
朝食時、娘が突然ヒンズースクワットをはじめる。ヒンズースクワットをしながら、 食パン二枚をぺろりとたいらげた。なんなんだ。親の僕らだって、朝は一枚ずつなのに、たいした大食漢だ。夕方、妻が保育室へ娘をピックアップに寄った帰り、下北沢 北口の富士銀行の脇で、またもや吹越満さんを見かけたそうだ。深夜、学生時代に僕 とバンドを組んでいた旧友、田中亨治から数年ぶりに電話があった。先月オープンし た池袋のライブハウス「LIVE INN ROSA」で店長をしているとのこと。暇があったら 一度、店に遊びに来てくれといわれる。元気そうなのが、なによりだ。

12月12日(火) 「外見で判断しました」
朝、一戸建ての貸家を見に行くが、ベランダがないのでパスする。まだ、住んでいる人がいるので内見はできなかったが、家の外見だけでやめることにした。安くない家賃のわりに、バルコニーがないなど、物件の条件が釣り合わないと思ったからだ。人は外見だけで判断してはいけない、などというが、家は外見で判断してもいいような 気がする。

12月13日(水) 「止まると死ぬのか、はな」
朝食時、娘が手に持ったスプーンで、思いっきりテーブルを何度も叩いているの見 て、間寛平さんのギャグ「止まると死ぬんじゃじいさん」を思い出す。「わしゃ、止まると死ぬ んじゃ」という名セリフを吐き、床や壁や周囲の人を杖でパンパン殴りまくる、有名な過激ギャグのことだ。昼間、妻をまじえて、コピーライターの笹山さんとイタリアンレストラン「ラ・ベファーナ」で昼食。夜、同じくコピーライターの松葉から電話があり、下北沢に最近オープンしたての、カフェとバーの中間のような店 へ(そういえば昔、カフェバー・ブームがあったな)。ビールを飲みながら、広告の 話をし、松葉のお気に入りの女性についていろいろ聞く。

12月14日(木) 「川添、ニューヨークへ」
ビーンズキャットで編集者の小森さんとばったり。小森さんは例によって何かの本を 読まれていたので、邪魔をしないよう、あいさつだけ交わす。夜、妻とふたりで娘を寝かしつけていると、学生時代の同級生、川添貴から電話があった。「いま、成田に いる。これからニューヨークへ行く」とのこと。一年くらいニューヨークに住み、ア ートを見たり、いろんな刺激を受けたりして、そのあとアムステルダムへ移り、三カ月くらい滞在してから日本に帰ってくる予定らしい。なんだかよくわからないが、ニ ューヨークに一年、というのはちょっと羨ましい。

12月15日(金) 「『推理作家の出来るまで』をもらうまで」
胸、背中、足にぶつぶつができていた娘を副島クリニックに連れて行ってから、保育室へ。その後、用があって吉祥寺へ。ユザワヤで絵の具を買い、パルコブックセンターで資料の本を購入。絵本などを置いているトムズボックスをのぞいたがまだ営業してなかったので諦め、春木屋で中華そばを食べ、ニキティキで木の玩具を手に入れる。それから、無印良品で娘の服などを調達して帰宅。と思ったら、フリースタイルの吉田さんが仕事部屋にお歳暮を持って登場。お歳暮とは、本日発売になったばかりの、都筑道夫さんの著作『推理作家の出来るまで』上下巻だった。平野甲賀さんによる装丁は、ウェブ上で見たき以上にに素晴らしい。やはり本というのは、現物でないと表紙の手触りや微妙な色合いはわからない。フリースタイルの文字が表紙に大きく入っているのもいい。お歳暮なんてめったにもらわないけれど、完成したばかりの本のお歳暮を、出版社の代表者からいただくなんて初めてで感動する。夜九時半から、 代々木にあるオフィス「ストリーム」で雑誌広告の打ち合わせ。イラストレーターを 決めるのに議論が長引き、帰宅したのは深夜。結局、下北沢在住のイラストレーター 兼デザイナーの吉丸慎さんにお願いすることになった。

12月16日(土) 「隠れる女
午前中、急ぎの仕事を片付け、本多劇場へ。竹中直人の会の第八回公演『隠れる女』 をマチネーで観る。作・演出は岩松了さん。出演は竹中直人さん、小泉今日子さん、 岩松了さん、矢沢幸治さん、岸田今日子さんの五人。登場人物が富裕層の設定のためか、庶民的な生活を描いていたいつもより共感を得る部分は少なかったが、W今日子さんの好演は光っていた。小泉さんはイメージしていた以上にきれいで、岸田さんも立ち姿が美しかった。吹越満さん・広田レオナさん夫妻も会場に来ていた。
 


第28回 2000年12月12日

12月3日(日) 「冬なのに野外ランチ」
下北沢のピュア通りでフリーマーケットがあり、我が家三人と、山崎浩一さん・山田真理さんご夫婦、それにご子息の晶くんと一緒に露店を見てまわる。その後、弁当を買って、緑道添いの公園でランチを楽しむ。十二月とはいえ、思いのほか暖かかっ た。その後、山崎さん一家と別れ、緑道沿いの別の場所にある滑り台で娘を滑らせていると、編集者の小森収さんが通 りがかったので、あいさつを交わす。夜、フィクショネスへ寄り、店主の藤谷さんに『よるくま』という絵本を入手してもらうよう頼 み、クリス・ヴァン・オールズバーグの絵本『西風号の遭難(The Wreck of the Zephyr)』を購入する。娘が寝静まってから『西風号の遭難』を開いたが、村上春樹さんの訳文もさることながら、ヴァン・オールズバーグの絵の上手さにあらためて驚 く。ヴァン・オールズバーグの絵には上手さだけでなく、見ているうちに吸い込まれ るような独特の不思議な世界が広がっていて、そのうえ「品」がある。品というのは 持って生まれたもので、どんなに訓練したところで、なかなか身につけることができ ないものだと思う。

12月4日(月) 「イワモトさんとの遭遇」
朝から北沢眼科へ。待ち時間に、村上春樹さんの短編『沈黙』を開き、読了したと同 時に名前を呼ばれ、診察室へ。左目の回復具合は順調だそうで、特に異常がなければもう来なくていいですよ、と先生に言われる。眼科を出たあと、梅ヶ丘の北沢保健福 祉センターへ行き、保育園の入園申請用紙をもらう。お昼は、一龍でもやしラーメン を食べたが、やはりうまい。下北沢のラーメン屋では、いちばんの美味じゃないだろ うか。食後、無印良品のそばで映画監督のイワモトケンチさんと遭遇。話は前後する が、『沈黙』は何度読んでも後味がいい。『沈黙』を読むと、小説という表現形式の 素晴らしさを再認識し、僕も何か書いてみようという気になる(そう簡単に書けない のはわかっているのだが)。

12月5日(火) 「俳優の戸田さんとの擦れ違う」

下北沢北口のパソコンショップTSUKUMOの前で、俳優の戸田さんと擦れ違う。戸田さんの下の名前は忘れてしまったが、岩松了さんの芝居『アイスクリームマン』をはじめ、遊園地再生事業団のいくつかの舞台にも出ていた役者さんで、映画『CURE』にも 出演していた男優さん。最近では、サランラップだったかクレラップだったか、そう いった類の商品のテレビコマーシャルにも出ていたと思う。

12月6日(水) 「シモキタ改めシモ」
朝から品川区旗の台で、某大学のパンフレットの打ち合わせ。同席したグラフィックデザイナーのビルさんが、下北沢のことを「シモ」と言っているのを聞き、新鮮な印象を受ける。これからは「シモキタ」でなく「シモ」だな。夕方、南口の携帯電話シ ョップで、またもや俳優の戸田さんに見かける。


12月7日(木) 「怪人31面相ウィルス」
ネットサーフィンをしていて、コンピューターウィスルについてのサイトを見つけ る。今、コンピューターの世界では、31面相ウィルスが流行っているらしい。このウ ィルスは、日によって31通りに姿を変えるらしい。つまり1日から31日まで、カメレ オンのようにコロコロ姿を変化させるので、正体を見破られにくいそうだ。

12月8日(金) 「月の砂漠は切なくて」
昼前だったか、灯油を売り歩く大型車が近所を通 りがかる。この車は、オルゴールよ うな音色で「月の砂漠」を流しながら徐行しているのだが、この曲を聴いているとさ びしい気分にさせられる。石油、アラビア、砂漠という単純な連想をもとに、この曲 を選んでいるような気がする。このこところ、金曜日になると「月の砂漠」を聴かさ れている。午後、某テレビ局が発行しているフリーペーパーためのコピーをどんどん 書き、出来上がったところから順次、テキストデータをデザイナーにメールで送る。

12月9日(土) 「オダギリは何屋さん?」

通常は土曜日は、娘を保育室に預けていないのが、妻も僕も忙しかったので連れてい くことにした。 昼、知人の小田桐くんが来て、雑誌広告の打ち合わせ。住宅ローンを貸付額や返済年 数などをインターネット上でシュミレーションできる、あるサイトをいろんな人に知 ってもらい、活用を促すための広告を制作することになった。小田桐くんは広告制作 以外にもいろいろな仕事をやっていて、そのひとつにカーレース「フォーミュラ・ニ ッポン」のパイロット、五十嵐勇太さんという若者のマネージメント業もあるとい う。
 

 


第27回 2000年12月5日

11月26日(日) 「ブレーンズ、レイソル、揃って敗北」
中央区の野球大会に出場。ブレーンズ準々決勝でジャイアンツというチームに四回コールド負けを喫する。しかも、僕が最後のバッターになってしまった。野球チームのメンバーのタケちゃんと一緒に下北沢に戻って、ベトナム料理店で昼食をとる。うちの妻と娘も合流し、四人での食事となった。試合には敗れたが、昨日手術したばかりできょうプレイができたことはうれしかった。午後、Jリーグの試合、アントラーズ 対レイソルをテレビで観た。鹿島は何度もチャンピオンに輝いているはずなので、柏に勝ってほしかったが願いは届かず。それはともかく、KASHIMAとKASHIWAはローマ字表記すると酷似している。以前、英会話を教えてくれていた外国人女性が、この両クラブは名前がまぎわらしくて困る、とぼやいていたのを思い出した。

11月27日(月) 「左目とテレビ局」
朝から北沢眼科へ。左目の経過は良好とのこと。また、一週間後に診てもらうことになった。午後一時、某テレビ局へ新聞広告のプレゼンテーションのために訪れる。

11月28日(火) 「ボカが、ボカボカ」
朝から品川区にある、某大学の本部へ行き、大学を紹介するパンフレットを制作ミーティングに出席。帰宅後、クリスマス前に掲載される、某テレビ局の新聞広告の修正コピー案とビジュアルアイディアをデザイナーにファクスし、電話で説明する。 「某」だらけになって、いやですね。トヨタカップは、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズがスペインのレアル・マドリードを二対一で下し、同じくアルゼンチンのベレス・サルスフィエルド以来、六年ぶりに南米のクラブが世界チャンプになった。

11月29日(水) 「俳優と女優に会う」

昼過ぎ、乃木坂の撮影スタジオへ。俳優のTさん、女優のNさん、某テレビ局のプロデューサーNさんにインタビューをし、年明けからはじまる、あるドラマについての意気込みや演技プランなどを聞いた。Tさんは、洋酒メーカーのCMに出演している人だ が、イメージしていたよりも物静かで、とても礼儀正しい方だった。女優のNさん は、沖縄出身の二十一歳で、目と目が合うとこちらが照れてしまうほど美しい女性だった。取材後、仕事場にいったん戻って届いているファクスを確認したあと、またもや某テレビ局へ。担当者に、新聞広告の案をいくつかお見せしたが、ダメ出しを食らってしまう。

11月30日(木) 「新聞広告は難しい」
娘を保育室へ連れていった際、アンドレスさんと会った。自宅へ戻る途中、コピーライターの笹山保子さん、編集者の小森収さんに遭遇。夕方、某テレビ局へ出向き、デザイナーといっしょに新聞広告のラフを見せた。今度は、コピーに対してOKが出たが、担当者から「デザインを変えたパターンも見てみたい」と言われる。難しいものだ。

12月1日(金) 「ミーティングは続くよ、どこまでも」
夕方から某テレビ局で、新聞広告の打ち合わせ。十二月二十日に掲載されるものはほぼ決定したが、クリスマスに掲載される広告のアイデアについてはダメ出しを食らう。またもや考え直しだ。帰宅すると九時をまわっていた。妻の話では、風呂に入れる前に娘は眠ってしまったとのこと。

12月2日(土) 「俺たちに休日はない!?」
昼過ぎ、建築設計事務所に勤める出田くんが、Eメールのことを聞きに来る。夕方、 年末のクリスマスに掲載される新聞広告のキャッチコピー案とビジュアルアイデアを、デザイナーへファクスする。Jリーグ・チャンピオンシップ初戦は、横浜マリノスも鹿島アントラーズも点を取れず、引き分け。横浜マリノスが押し気味に試合を進めていたが、決め手に欠ける、消化不良の内容だった。それにしても、娘はふかしたさつま芋が大好物で、ほおっておけばいくらでも食べてしまう。今週は忙しくて、娘とあまり遊べなかった。
 


 

第26回 2000年11月29日

11月19日(日) 「月島へ」
月島に引っ越すのもいいかもしれないと急に思いたち、家族三人で外出。もんじゃ焼きの店が並ぶ商店街を通 ったり、狭い路地を歩いたり、月島図書館をのぞいたりするが、不動産物件の内見はせずに帰ってきてしまう。図書館の裏の公園では、娘は地べたをハイハイしながら動きまわり、楽しそうな笑顔を僕たちに見せた。
夜、先日のニューヨーク・シティ・マラソンに参加して完走を遂げた、コピーライターの松葉が来 て、お土産をくれる。僕には『YANKEE STADIUM IN YOUR POCKET』というペーパーバック、妻にはDEAN & DELUCAのトートバッグをくれた。ありがたや、ありがたや。

11月20日(月) 「乾燥機の感想」
夕方、某家電メーカーの全自動洗濯・乾燥機をアピールするコピーを書き上げ、クライアントにファクス。しばらくして、方向性は間違っていないがコピーをもう何本か考えてほしい、という返答が届いた。結局、明日の夕方にあらためてコピー案を送ることになった。資料を読んでいると、たしかに洗濯・乾燥機は便利そうだが、僕は天 日干しのほうがやはり好きだ。美観を損ねるので洗濯物は干せません、といった規則のあるマンションには、僕は間違っても住みたくない。

11月21日(火) 「注射禁止、解除」
国立小児病院へ出向き、娘のアレルギー検査の結果を聞く。卵に対する陽性反応が出たが、勝沼先生の話では、特に心配するほどはないらしく、はしかの予防接種を打ってもらうことができた。夕方、急な打ち合わせが入ったので、全自動洗濯・乾燥機の修正コピー案をファクスしたあと、バタバタと用意をして午後六時に某テレビ局へ。

11月22日(水) 「共同で経堂へ」
昼過ぎ、代沢郵便局の前で書店フィクショネス店主の藤谷さんとばったり会う。午 後、仕事がはかどらなかったので、気分転換に妻と外出。知人に教えてもらった経堂のリサイクルショップへ行き、娘の上着と絵本を購入した。その後、不動産屋の店頭に貼られている賃貸物件情報を見ながら、経堂の南口を徘徊。たまたま見つけた「かば田食品」という店で、チューブ入り辛子めんたいという商品を見つけ、珍しいので 買ってみた。夕食の際、チューブから出して御飯にのせて食してみると、これが予想 以上にうまかった。

11月23日(木) 「駒場へ」
秋分の日。じゃなくて勤労感謝の日。ケーブルテレビのチャンネルをESPNスポーツ・ アイに合わすと『大島部屋』という番組が流れていた。映画監督の大島渚さんと、セ ・リーグ一といわれる速球を武器に今季大活躍したヤクルトの五十嵐亮太投手が対談 をしていた。娘と遊びながら観ていたので話の内容はよくわからなかったが、こうい う番組タイトルはわりと好きですね。午後、駒場東大前にある駒場留学生会館へ。き ょうはオープンハウス(不動産の内見会じゃないです)という日で、外部の人間が入ってもいい日。それで家族三人で行ってたみたのだが、思ったほど盛り上がっていな かったし、かなり寒かったので、三十分ほどいただけで戻ってきた。帰りがけ、トム ボーイという子供服の店に寄り、そこで働く知人の水田さんと少し話した。

11月24日(金) 「八丁堀へ」
八丁堀のデザイン事務所で、急な打ち合わせ。近ごろ話題のDSL(ISDNより10倍速い、などと宣伝している、あれ)についての仕事。八丁堀から戻ったあと家族で夕食をとり、娘が寝てから妻と二人でビールを飲んだ。月曜までにやるべき仕事はあるのだが、週末の夜はどうしても気が緩んでしまう。

11月25日(土) 「眼帯生活」
朝から北沢眼科へ。ものもらいは、もうほとんど完治したと自分では思っていたのだが、左目の瞼の内側に、二つ並んでできものが残っているらしく、いきなり手術することに。左目に麻酔用の目薬をさされたあと、できもののひとつを金具のようなもので引っ掻き、なかの膿のようなものを出す、というもの。すぐに終わったが、思ったより痛かった。二つのできものを先生は引っ掻くつもりだったらしいが、僕がかなり 痛がったため、とりあえず片方だけのオペになった。術後、またもや眼帯をつけら れ、夜まで右目だけの生活を強いられる。来週月曜日に経過を診て、今後の処置が決 まる。残りのできものについては、自然に治ることもあるらしく、もう一度切開する ことになるかは現時点では不明だ。痛いのは、できればご免だ。
 

 


 

第25回 2000年11月20日

11月12日(日) 「不戦勝」
僕が所属する草野球チーム、ブレーンズの公式戦のため、月島にあるグラウンドを訪れる。ランニングをしたり、キャッチボールをしたり、ウォーミングアップして試合 開始に備えていたところ、不戦勝の知らせ。相手チームの人数が揃わなかったのだろ う。僕らのチームはベスト8に駒を進めることになったが、不戦勝では素直に喜べな い。ただその試合のためにグラウンドは取っておいてくれたので、僕らが好きに使っ てもいいことになる。仕方なく、隣の面で練習をしていたチームにお願いし、練習試合をしてもらったが、大差で敗れる。準々決勝は、二週間後に行われる予定。野球をするには、もう寒すぎる。ところで、この連載で僕が書いたことに誤りがあったので 訂正します。昨日放送の『ほんぱら!関口堂書店』というテレビ番組で長嶋茂雄特集 をやっていたのだが、そのなかで、「鳥えい」という焼鳥屋が紹介されていた。「えい」という漢字がうまく変換できないが、金へんに英、だったと思う。先日、この連 載のなかで書いた「鳥鉄」は間違いで、「鳥えい」が正解のようだった。僕が、看板 に書かれた店名を「鳥鉄」と読み誤ったみたいだ。

11月13日(月) 「大量のミソ・スープ」
夕食時、娘が味噌汁をやたらと飲む。このところ娘に味噌汁をあたえると、大量 に飲むようになった。飲んでいる途中でお椀を口から放そうとすると、ものすごく嫌がる のである。この日、朝から左目の瞼が腫れているような気がしていたが、入浴後かなり腫れてきたので、仕事をする気が失せ、早めに就寝した。

11月14日(火) 「レフト・アイ」
娘は朝、ほ乳瓶をカタカタさせて喜んでいた。ほ乳瓶を倒れない程度に傾けておいて手を放すと、ほ乳瓶が元に戻ろうとして揺れる。これを繰り返して、大喜びしている のだ。キャッキャッと喜ぶ娘をもっと見ていたかったが、僕は昨日からの瞼の腫れが気になり、「娘の送り届け」を妻にまかせ、下北沢の北沢眼科へ。目薬を出され、左目に眼帯を付けられる。片目というのは不便だ。こうしてワープロを打っているだけ でも、ふだんの五倍くらい疲れる感じがする。夕方、昨晩依頼された某ゴルフトーナメントを告知する新聞広告のコピー案をデザイナーに送る。時間がないうえ、片目での作業を強いられているのでつらい。デザイナーにコピーをファクス後、別 のデザイ ン事務所から、あるキャンペーンのプレミアムを考えてほしい、という電話が入る。 来春から夏にかけて行う、某食品メーカーのクローズド・キャンペーンのプレゼント 賞品を考えてほしいというもの。クローズド・キャンペーンというのは、ある特定の 商品を購入した人だけが対象のプレゼント・キャンペーンのこと。家にある雑誌を資 料にしながら、妻にも手伝ってもらってあれこれ考える。

11月15日(水) 「注射禁止」
麻しん(はしか)の予防接種を娘にしてもらうため、副島クリニックを訪れたとこ ろ、娘が以前、卵を食べた際、顔中が赤くなったことや、さんまを食べさせたとき、 足に世界地図にような湿しんが出たことを先生が突然思いだし、注射が延期になってしまう。副島先生は、紹介状を書いてあげるので、明日、国立小児病院へ行ってアレルギー検査を受けなさい、という。麻しん予防のワクチンは、卵からつくるらしい。 結局、予防接種をしてもらえなかったのに、保育室へ行くのが大幅に遅れたため、娘は大好きな公園遊びができずじまい。晴れた日の日課になっている、公園遊びに間に 合わなかったのである。夕方、保育室から戻っても、娘は体力があり余っているよう だった。娘がなかなか寝付かず、ちょっと困った。

11月16日(木) 「アレルギー検査」

保育室を休んで、朝から国立小児病院(「くにたち」でなく「こくりつ」です)へ。 副島先生が書いてくれた紹介状を手に、アレルギー科の勝沼先生を訪ねる。診察はわ ずかな時間だったのに、三時間も待たされて疲れた。娘は右腕から六CCの血液を抜か れ、アレルギー検査。血を抜かれるとき、僕も妻も検査室から出されたのだが、廊下 まで娘の泣き叫ぶ声が聞こえ、切ない気持ちになった。結果は来週の火曜日に出ると のこと。また、行かねばならぬのか。国立小児病院までは家から徒歩十五分と、比較 的近いのが何よりの救い。病院から昼過ぎに帰宅して昼食を済ませると、すぐに仕 事。クローズド・キャンペーンの賞品案をまとめ、期限の午後三時までにどうにかファクスとメールを送ることができた。プレミアムの賞品を考えるという、専門外の仕 事でくたくたになった。

11月17日(金) 「新聞広告の仕事」
昼過ぎ、某ゴルフトーナメントを告知する新聞広告のコピーがようやく決定。何度か 修正が入り、その度に書き直していたのだが、どうにか入稿(版下原稿のデータを印 刷所に渡すこと)に間に合った。夕方、別の仕事の以来がファクスで届いたので、そ の資料探しを済ませてから、娘を保育室へ迎えに行った。

11月18日(土) 「国立へ行く」
起きて窓を開けるとスカッとする天気で、思いのほか暖かかったので、妻と娘を連れ て知人宅へ遊びに行く。場所は国立(「こくりつ」でなく「くにたち」です)。知人 というのは、絵本作家でイラストレーターでもある、はたこうしろうさんと、エッセ イと絵を組み合わせたような本を何冊も出版されている、おーなり由子さんのご夫婦。お二人は、僕が通 っていた京都精華大学の先輩で、日頃から親しくさせていただ いている。某駅からはたさん宅へ歩いて向かう途中、西武ライオンズの伊東捕手宅を 発見。伊東勤選手のお宅だとわかったのは、はたさんから前もって聞いていたからな のだが、ちょうど通りがかったときに伊東選手が娘さんを連れて、表に出てこられた ので「生・伊東捕手」を見られて感激する。近くに住むはたさんでさえ、伊東選手ご 本人に遭遇したことはないらしく、生・伊東事件を話すと、羨ましそうにしておられ た。下北沢でも有名人を見かけることはあるが、プロ野球選手にお目にかかったことは一度もない。野球選手は下北沢などではなく、やはり六本木や銀座で遊ぶのだろう か。伊東捕手は、自転車の後部座席にお嬢さんを乗せ、習いごとへでも連れていかれ るところのようだった。娘さんが習いごとバッグのようなものを持っていたし。はた さん宅で長居はしないつもりだったが、居心地がよく、お茶やお菓子だけでなく、夕 食までよばれてしまった。娘は、はたさん宅の階段を何度も登り降りして、はしゃぎ まくっていた。わが家にも階段があればいいのにな、という気に、またもやなる。はたさん宅で体験させてもらった、視力回復マシンMEGATORE(メガトレ)は、なかなか ユニークな装置だった。ゴーグルのようなものを付け、ゴーグルのなかで点滅する緑 のランプを両目で追うことで、目の筋力を鍛える。つまり、目の筋トレを続けること によって、視力の低下を妨げたり、視力向上をはかるトレーニング器具なのだ。

 

 


 

第24回 2000年11月14日

11月5日(日) 「紅白の餅」
広尾町滞在三日目。娘もかなり慣れてきたようだ。妻の父親の顔を見てもニコニコしているし、いろんな親戚 に会っても、あまりぐずらなくなってきた。良かった良かった、と思ったら、明日はもう帰る日。夜、親戚 一堂の前で、娘は紅白の餅を背負わされ、きょとんとしていた。一歳になると、東京では米を背負うことが多いらしいが、 北海道では餅らしい。鮭やじゃがいもを背負っても、いいような気もするが。蟹でも いいかもしれない。

11月6日(月) 「おーい、中村さん」

帯広空港から日本エアシステムの航空機に乗って、北海道から戻る。羽田空港から品 川へ向かう、京急電車のなかで、写真家の中村征夫さんを見かける。妻が気づいたの だが、中村さんは水中写真で有名な方で、『あやしい探検隊海で笑う』など、椎名誠 さんとの共著もある。まったく面識はないのでもちろんお話はしなかったが、体が締 まっていそうで、アクティブで知的なカメラマンという感じのかっこいい男性でした。夕方、配達された朝日新聞の一面 に、発掘ねつ造「おわび行脚」とあり、笑って しまった。あれだけのねつ造をやっておいて、おわびも何もないと思うが。

11月7日(火) 「翻訳夜話を読む」
佐々木主浩投手がアメリカン・リーグの新人王を獲得。三十歳を過ぎて新人王というのも何か変だが、大リーグ一年目であれだけの活躍をしたのだから、成績から考えれば当然だろう。夜、村上春樹さんと柴田元幸さんの本『翻訳夜話』を読み終える。翻訳についての両氏の考え方がわかって興味深かった。僕はバベル翻訳外語学院というところで、英米文学の和訳について習っていたことがあるのだが、半年通 っただけで辞めてしまった。翻訳するために大切なのは、最終的には英語力よりも日本語力、といった意見を何度も目にしたことがあり、たしかに正論だと思うが、僕の場合は英語力がなさすぎた。話は変わるが、ヤクルトの元投手、高野光さんが飛び降り自殺をされた、という記事が朝刊にあった。朝日新聞には「家族の話では、高野さんは現在、 無職で、仕事探しで悩んでいたらしい」とある。高野投手は最近の選手だし、僕も活躍ぶりを記憶しているので、非常に残念。華やかに見えるプロ野球界だが、引退後も 野球にたずさわって生きていける者は、選手全体からすれば僅かだろう。先頃、問題を起こして巨人を去った、杉山直輝・元捕手などは今後どうやって暮らしていくのだ ろうか。人ごとながら気になる。

11月8日(水) 「日本赤軍と、日赤は違います」

午前中、お渡ししたいものがあるので伺ってもいいですか、とライターの山田真理さんに電話。すると、これから下北沢に出るので私のほうから伺います、との返事。結局、うちに来てもらい、真理さんと僕ら夫婦の三人で「でこ助」に行き、定食を注文する。昼食後、三人で子供の古着を物色し、真理さんは愛息のためにオーバーオールを買っていかれた。夕刊で知ったが、日本赤軍最高幹部の重信房子容疑者が、たかつき京都ホテルの玄関を出たところで逮捕されたらしい。大阪の高槻市といえば、僕の実家があり、そのホテルにも一度行ったことがある。いやあ、どこに潜伏してるか、 わかったもんじゃないですね。娘を保育室から連れて戻ると、TOTOに勤める米さんか ら、電話があり、今から三軒茶屋で飲みませんか、と誘われる。駒沢大学に住む吉田健くんにも声をかけ、十二時近くまで飲み食い。酔っぱらいながら、下北沢まで歩い て帰った。徒歩二十分強。

11月9日(木) 「四谷に映画館って、あったっけ?」
三軒茶屋から戻ったとたんすぐに床につき、奇妙な夢を見た。夢のなかで、誰かからよくわからない仕事を命じられる。四谷でディズニーのアニメ映画のオールナイト上映があり、それを観てから、朝一番の新幹線で大阪へ行け、との指令。大阪で何かの打ち合わせがあるらしい。いったい何のためにそんな依頼をしてきたのかも、誰に指示されたのかも不明。夢を見ながら、これは夢に違いないと感じていた。朝、テレビをつけ、CNNを観た。ブッシュか、ゴアか。未だかつてない僅差で、アメリカの大統領選はややこしいことになっているようだ。

11月10日(金) 「夜泣き三時間」
タイのバンコクで、保険金目当てに日本人の男が息子で銃で撃ち、重傷を負わせる事件が起きた、とニュース報道で知る。保険金殺人もここまで来たか。他人に殺されるのももちろんいやだが、身内が犯人というのはさらに不幸だ。午前零時半から三時半まで、娘が泣き続け、眠れなかった。抱っこすると泣きやむし、ミルクをあたえるとゴクゴク飲むのだが、布団に寝かせたとたんに号泣する。困った。娘はあまり夜泣きをしないタイプで、育児仲間から羨ましがられていたくらいなのだが、これから連夜の夜泣きが始まるのだろうか。少し不安になる。寝不足気味の娘を保育室へ送ったあと、仕事の資料にする雑誌を買うため、コンビニエンスストアに立ち寄ったところ、ユニクロの通 販カタログが売られていてびっくりする。ユニクロに電話をし、カタログを送ってくれといえばタダで郵送してくれるはずなのに、お金を払って買う人なんているのかな。夕方、娘をピックアップしに出たついでに、下北沢北口のピーコックで買い物をした。一階の野菜売場で見かけた俳優の吹越満さんは、十一月だというの に素足に草履だった。役者さんは、一般人より寒さに強いのだろうか。

11月11日(土) 「成城の階段」
午前中に家を出て、家族三人で成城へ向かう。成城学園前の駅前からバスに乗り、留学生会館へ。そこで開かれているフェスティバルを覗こうと思って行ったのだが、着いたときにはまだ何も始まっていない。そこの職員らしきおじさんに聞くと、スタートは午後一時の予定ですけど、実際には二時くらいになるかもしれません、といわれる。時間をちゃんと調べずに出向いた僕たちも甘かったが、留学生の人たちもアバウトだな。一時間や二時間、遅れたってどうってことないってことか。不慣れな場所で しかも子連れのため、開始まで待つのはやめて、成城の駅前まで歩いて引き返す。適当に昼食をすませ、成城学園前南口の不動産屋へ立ち寄る。賃貸物件の図面 をいろいろ見せてもらっているあいだ、娘はけっこうぐずっていた。せっかくだから、駅徒歩 十分くらいのテラスハウスを内見。裏庭もあり、間取りもわるくなかったが、バルコニーがないので見送り。娘は階段が気に入ったらしく、しきりに登りたがっていたので、お尻を支えてあげると、ハイハイの姿勢のまま、二階までの登頂に成功。一段登 るごとに自慢げな表情で、僕らの顔を見るのがおかしかった。うちには階段がないので、次に引っ越すときは、二階建ての物件にしよう、という気になる。夜、娘が寝たあと、『トイ・ストーリー2』をビデオで観る。ストーリー自体は特別 変わっている わけでないが、細部の絵を作りこんでいるので飽きない。従来のような手描きアニメ でなく、やはり、CGを駆使して仕上げているから新鮮な印象を受けるのだろう。

 

 

 


第23回 2000年11月11日

10月29日(日) 「祝・山崎さん」
コラムニストの山崎浩一さんの結婚パーティに出るため、表参道へ。パーティのあいだ、うちの娘は終始ニコニコしていたが、大勢の人に一度に会ったためか、山崎さんの息子さんは少しご機嫌ななめ。パーティには、写 真家のブルース・オズボーンさんも出席されていた。

10月30日(月) 「なまいきタカハシ」
日本一に輝いた巨人軍の監督・選手が一堂に会する、テレビ番組を観ていたら、高橋尚成投手が「工藤さんは話が長くて…」というようなことを(本人は冗談のつもりで)語り、当の工藤公康投手はちょっとムッとしているみたいだった。超ベテランの工藤投手のことをそんなふうにいうとは、生意気な男だな、と感じたが、それくらい鼻っ柱が強くなくては、ジャイアンツで先発投手なんかできないのかもしれない。

10月31日(火) 「田園調布はお膝元」

午後、仕事の打ち合わせのため、井の頭線と東急線を乗り継いで田園調布へ。田園調布の駅前にある「鳥鉄」という焼鳥屋のある建物には、巨人軍日本一おめでとう、と いった内容の横断幕がかかっていた。さすがは、長嶋監督の地元。以前、長嶋さんがたまに訪れる焼鳥屋があると人から聞いたことがあるが、それが鳥鉄だったような気がする。夜、コピーライターのピート小林さんと、下北沢に完成したばかりの「ギャラリー露崎」へ。ピート小林さんが十二月から個展を開かれるため、会場下見をお供 したのだ。ピート小林さんは、コピーライターとして業界ではかなり有名な方だが、 桜の写真を何年も前から撮り続けている写真人(写真で生計をたてておられるわけではないので、写 真家でなく、写真人と表記してみました)でもある。しかも、九州か らスタートし、桜前線とともに九州から北上して全国の名所を撮影し、開花にあわせ て北海道へ上陸するというロード・フォトグラフィー。ちなみに今年は三月から五月 にかけ、桜を撮るために各地で四十泊もしたそうだ。

11月1日(水) 「ドイツからの品」
インターネット通販で購入したリュックサックが届く。DB(デーベーと発音する、ドイツの国鉄)がつくっているオリジナルグッズで、三、四年前にドイツへ行った際に買いそびれ、それ以来、いつか入手したいと思っていたのだが、最近たまたまオンラインで販売していることを知り、注文してみたのだ。

11月2日(木) 「はな、一歳になる」
娘の一歳の誕生日。午前五時に起床して荷物をまとめ、六時十五分に出立。羽田空港 から全日空機に乗り、北海道の中標津へ。親戚の家へ向かうためである。親戚 の水谷家では、我が家の三人を熱烈に歓迎してくれた。特に、幼稚園に通う理沙ちゃんがずっと、うちの娘の遊び相手をしてくれ、親としては大助かり。感謝、感謝。水谷家の 長男、拳(けん)ちゃんは、読書好きで作文が得意らしいので、「普通の職業はやめ て、将来は詩人になるといい」と、適当なことをいっておいた。夜は、「銀の船」という大型の回転寿司店(寿司が大型なのではなく、店が大きい)へ連れて行ってもらい、たらふく食う。そのあと、養老牛(ようろううし)温泉というところへ案内して もらい、野天風呂を楽しんだ。翌日の移動のため、中標津へ迎えに来てくれていた、 妻の両親ともずっと一緒だった。ようやく一歳になったんだな、などと感慨に浸って いる間もなく、バタバタと終わった一日である。

11月3日(金) 「移動距離二百五十キロ」
文化の日。午後、妻の両親の車に乗せてもらい、道内の広尾町へ。途中、小休憩を入れながら、約五時間半のクルマ移動。阿寒湖近くの峠のカーブが続き、妻は酔いそうになるし、娘はぐずりまくるし、なかなかハードな旅だった。といっても僕は運転もしなかったので、ずっとハンドルを握ってくれたお父さんのほうが疲れたかもしれない。午後七時到着後、広尾町の妻の実家で、日米野球のテレビ中継を観ながら、親戚 の人たちとビールを飲む。

11月4日(土) 「こちら亀田クリニック」
数日前から娘が咳をしたり、鼻水を出したりしてたのだが、妻の母親から「明日は病院が休みだし、きょうのうちに診てもらったら」といわれ、町内の亀田クリニックへ 行く。途中、十勝神社の敷地を通り抜けしたのだが、広い境内に土俵があった。広尾町は、元横綱・北勝海(ほくとうみ)で現・八角親方の出身地でもあるし、相撲人気が高いのだろうか。ちなみに、巨人軍に堀田一郎という若手外野手がおり、同選手も 郷里が広尾町。妻の父親の話では、堀田選手のおじいさんもその昔、相撲取りをして いたとか。亀田クリニックの先生は、やさしい口調の、親切そうな男性だった。娘の風邪はたいしたことがなく、飲み薬を数種類もらった。子供向けのそれらの薬にはオ レンジ味が付いていて、娘は大喜びでいっき飲みしていた。良薬は口に甘し。
 

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第22回 2000年11月4日

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第1回 2000年6月3日

 


 

第22回 2000年11月4日

Sunday,October 22
ヤンキース対メッツのワールドシリーズ開幕。始球式は四十四年前のニューヨーク決戦に出場した、元ヤンキースの名投手ドン・ラーセン&名捕手ヨギ・ベラ(だったはず)。国歌斉唱はビリー・ジョエルだった。ビリー・ジョエルは、ニューヨークのロ ング・アイランドに住んでいるらしい。ロング・アイランドを和訳すると、「長島」 じゃないか、とつまらないことに気づく。試合は延長十二回裏、満塁の場面 でビスカイーノ選手がレフト前ヒットを打ち、ヤンキースがサヨナラ勝ちを収める。この試合には、プロテニス選手のピート・サンプラスや映画監督スパイク・リーも訪れていた (並んで観戦をしている姿がテレビに映っていた)。試合の途中だったが、午前十一時に家を出て、武蔵小山に住んでいるグラフィックデザイナーの中村さん宅へ向か う。武蔵小山駅前の工事現場の壁に、ヌード撮影スタジオのビラが貼ってあった。 「ヌード撮影をしませんか」というようなキャッチコピーと携帯電話の番号が明記さ れいているのだが、電話番号の横に「他とくらべてみてください」とある。他とくらべてみてください、といわれてもねえ。

Monday,October 23

朝、下北沢の北口で中村小百合さんとばったり会い、短い立ち話をする。中村さん は、東京乾電池に所属する女優さんで十一月の三日から五日まで、ウッディーシアター目黒で『ジョバンニの父への旅』というタイトルの舞台に出演するらしい。残念ながらすでに予定が入っていて、僕は行けそうにない。昨日に続き、ニューヨーク・メッツが連敗。このワールドシリーズ第二戦では、トム・クルーズやビリー・クリスタル(らしき男性)がVIP席のようなシートに座っているのが見えた。昼間、テイム・ バートン監督作『スリーピー・ホロウ』をビデオで観る。テイム・バートンは、僕と 妻のフェイバリット・ディレクターである。この作品は、ホラーとファンタジーを足 して、そこにコミカルな要素を振りかけた感じで、けっこう楽しめた。映像がリアル すぎないところがいい。夕方、ポストを見ると、郵便物にまじって『吉本女子プロレス』の特別 優待券が二枚入っていた。興業場所は北沢タウンホールのようだ。同団体の特別 優待券は以前にもポストに投函されていたことがあるが、チケットの売れ行き が良くないのだろうか。同団体にはたしか「おばっち飯塚」という選手がいて、前に 見た告知チラシには、その選手がエプロンをして大根を抱えている写真が掲載されていた。いくら吉本だからって、そこまで選手のキャラクターをギャグ系に寄せること はないんじゃないかな。娘は「ハイ」という言葉を発するようになってきた。正確に は「ハイ」と「アイ」の中間のような発音なのだが。

Tuesday,October 24
一日中、バタバタと仕事。夕食後、娘にバナナをあげたが、あまりにも猛烈な食べ方で笑った。バナナを少しづつちぎってあたえていたのが、その食べるの早いこと、い ったら。もう少しで一本まるごと、たいらげるところだった。アジアカップ・サッカ ーでは、日本がイラクに四対一で勝つ。この試合、名波選手が二点をあげたが、二点 目はふわっと浮かせてシュートで味があった。相手のディフェンダーの背中に当たっ て、ぴょーんとはねて、ゴールキーパーの頭を越す不思議なシュートだった。

Wednesday,October 25
僕はテレビを観られなかったので、妻に聞いたのだがワールドシリーズ第三戦の始球 式は、米国ソフトボールのエース、リサ・ヘルナンデス投手と、トム・ラソーダさん によるものだったらしい。ラソーダさん(現ロサンゼルス・ドジャース副会長)は、 ボールを投げたあと、メッツのピアザ捕手と、ハグハグ(hug)していたとか。そうか、忘れていたけど、ラソーダさんがドジャースの監督をしていた頃、ピアザもドジャースだったんだ。野茂投手の球を受けていたっけ。試合はようやくメッツが一勝。

Thursday,October 26

薬用ドリンク剤の来年度のキャンペーン企画を考え、仕事先にファクス。修正が何度もあり、夜中の二時までかかる。疲れた。

Friday,October 27
夕方、友人の吉田健くんが突然たずねてきたので、我が家でいっしょに日本シリーズを観戦。仕事の修正が入る予定だったが、特に連絡もなく、平穏な一日だった。ワールドシリーズはヤンキースが四勝一敗でメッツを下し、ニューヨーク対決を制する。 ヤンキース三年連続のワールドチャンピオン。そんなに強くていいのか。

Saturday,October 28
日本シリーズ第六戦を東京ドームへ観に行く。まさか、生まれて初めて日本シリーズ観戦に訪れた日に、長嶋監督の胴上げに出くわすとは。巨人ファンの妻の希望で同行したのだが、僕は阪神ファンなのでちょっと複雑な思いだった。G党だらけで、もの すごい応援の大ボリュームのなか、ほとんどグズらなかった娘に感謝したい。大の巨人ファンである、フリースタイルの吉田さん、ほんとに良かったですね。おめでとう ございます。


第21回 2000年10月24日

Sunday,October 15
サッカーのアジアカップをテレビで観ていて思ったのだが、KUWAIT(クウェート)とKUWATA(桑田)はスペルが似ている。競馬の秋花賞の馬券を購入したが、結果 は惜敗。一着のティコティコタックは買っていたのだが、二着のヤマカツスズランは予想外だった。なんと、馬連三万円以上の大穴。「百円買っていただけでも三万円なる。ということは、もしも一万円買っていたら…」などと、いやらしいことを考えてしまう。

Monday,October 16
マリナーズがヤンキースを六対二で下し、チャンピオンシップシリーズを二勝三敗とした。八回途中から佐々木投手がリリーフ登板したが、九回に四死球で走者を出し、ひやりとする。佐々木のフォークボールをもってしても、メジャーの打者は簡単には三振してくれない。日本にいたときは、佐々木が出てくると、あの巨人でさえ「もうダメだ」というムードが漂っていたのに、米国では大魔神も苦労しているようだ。夕方、建築家の池田昌弘さんのオフィスへ遊びに行く。池田さんは、池田昌弘建築研究所という事務所を下北沢で営まれているのだが、雑誌『新建築』に「池田昌弘のTRANS CURUTURE日記」を連載している。現在、オランダで劇場をつくっているらしく、ちょこちょこ海外へ出向いているそうだ。うらやましい。夜、下北沢のOFF OFFシアターで行われた、フリースタイル主催の「都筑道夫・法月綸太郎トークショー」へ。終演後、フリースタイルの吉田さんに誘ってもらったので、都筑さん、法月さん、新保博久さんらとの打ち上げに混ぜてもらう。ビールをたらふく飲んで酔っ払い、帰宅したのは午前二時半だった。当然、娘も妻も寝ていた。

Tuesday,October 17
アジアカップ第二戦、日本がウズベキスタンを八対一で撃破。先発のツートップ(この日は高原選手と西澤選手)が揃ってハットトリックを決めたのなんて、いったいいつ以来だろう。 Wednesday,October 18 ALCS(アメリカンリーグ・チャンピオンシップシリーズ)第六戦、ヤンキースがマリナーズに九対七で勝ち、三十七度目のリーグ優勝を果 たす。四十四年目のニューヨーク対決が実現することになった。前回のニューヨーク決戦はヤンキース対ブルックリン・ドジャースだったので、この顔合わせでワールドシリーズを戦うのは初めてだそうだ。やはり、二年連続ワールドチャンピオンのヤンキースは強かった。佐々木主浩投手、おつかれさま。

Thursday,October 19
昼間、娘を北沢タウンホールへ連れていく。ポリオの予防接種を受けるためだ。タウンホールには娘と同じくらいの年齢のこどもや、その親が大勢いて驚く。下北沢周辺に、こんなにも多くのこどもはいたとは知らなかった。タウンホールの前で、WAHAHA本舗の吹越満さんを見た。吹越さんも、お子さんをポリオに連れてきたのだろう。夕方、保育室から娘を連れて戻り、洗面 所でうがいをしていると、リビングルームから「ジーッ」という音が突然聞こえた。何だろうと思って見てみると、娘がナショナルのバリカンのスイッチをONにしたのだった。妻に髪を刈ってもらうため、部屋の隅っこでバリカンを充電をしていたのだが、娘もなかなか目ざとい。この、バリカン電源ON事件発生には、妻と二人で大笑いした。

Friday,October 20
電動バッテリー付き自転車の店頭POPを考える仕事が入ってきたので、妻とディスカッションしながら、さまざまな案を出す。夜、一度寝てから午前二時ごろに起き、アジアカップの日本対カタール戦を観る。残念ながら、結果 は引き分け。次は準々決勝だが、相手はイラクらしい。

Saturday,October 21

妻と娘と三人で散歩していると、下北沢のファーストキッチンの前で、音楽グループUFO(United Future Organization)のラファエル・セバーグさんを見かける。お子さんといっしょのようだった。もちろん、早弾きギタリストのマイケル・シェンカーがやっていた、あのUFOではない。
 

 

 




第20回 2000年10月19日

Sunday,October 8
朝からダイエーへ行き、パ・リーグ優勝セールをのぞく。昨年の同セールよりは集客が落ちていそうな印象を受けたが、それでも朝九時とは思えない、それなりの混雑ぶり。景気低迷が続くなか、小売店が流行っているのを見ると少しホッとする。夜、娘を風呂に入れようとしたところ、脱衣所でおしっこをかけられ、びっくり。先に入浴していた妻に、娘を受け渡そうと抱っこしていたところ、僕の右太ももが生暖かくなった。と思ったら、案の定だった。妻と二人で大笑いしたが、当の娘はなにを笑っているのかしら、という顔をしている。書き忘れていたが、十月七日は、渋谷パルコへ『ジェームス・ジャービス個展 World of Pain』を観に行った。ジェームス・ジャービスは、英国のイラストレーターで、昨年か一昨年、ソニーの広告にも起用されていた。ジャービスは架空の世界で暮らす、下ぶくれした、じゃがいも顔の変な人間たちをポップな色使いで描いている。その架空の地ではいろいろな規則があって、音楽はヘビーメタル、書体はヘルベチカでなくてはならないと決められているそうだ。

Monday,October 9
体育の日。通称ハッピー・マンデー法とやらのため、今年から十月の第二月曜日が「体育の日」となったわけだが、いきなり「雨の、体育の日」とは。昼間、休日を返上して仕事していると、ファクスが届いた。何かなと思い、見てみると、千葉にある某百貨店の営業第二部からの売り上げ報告書だった。間違い電話でなく、間違いファクシミリだ。昨日分の洋服の仕入れ量 や売り上げ額を報告された、僕はいったいどうすればいいのだろう。

Tuesday,October 10
朝日新聞のテレビ欄を見ていたら、きょうからはじまるテレビドラマ『編集王』の広告が載っていた。ネプチューンの原田泰造が、上半身裸(といっても、実際には胸から上しか写 っていない)の格好で、真剣な表情をしている。で、キャッチコピーは「抱かれたい男優ナンバーワンになってやる」。これが彼のドラマデビュー作に当たるようだ。もちろん僕が書いたコピーではないし、どなたが担当された仕事か知らないが、このキャッチコピーにはちょっと笑ってしまった。それはともかく、フジテレビは漫画からのドラマ化が多い気がする。ちなみにこの『編集王』の原作は、土田世紀さん。娘は、口に当てた手のひらを動かしながら「アワワワワワ」と発声するのが、上手くなってきた。

Wednesday,October 11
朝、保育室へ娘を送ったあと、コンビニエンスストアで週刊ベースボールを購入。ページを繰っていたら、フィラデルフィア・フィリーズの入団テストの広告を発見。さっそく、元高校球児の知人にテスト参加を勧めてみたが、遠慮しとくわ、との返事。三十五歳になって、メジャーリガーをめざせ、と言われても困るよね、やっぱり。夜、衛星放送でヤンキース対マリナーズのチャンピオンシップシリーズを観る。最後は佐々木投手が出てきてセーブポイントを記録し、マリナーズがヤンキースを下したが、完璧なピッチングには見えず、ひやひやする。朝日新聞夕刊で結果 を知ったあと、録画のテレビ放送を観たのに、佐々木投手が逆転を許すのではないかと、ひやひやしてしまった。

Thursday,October 12
マリナーズ敗戦で、対戦成績は一勝一敗。やはり二年連続ワールドチャンピオンのヤンキース、そうそう連敗はしないな。ヤンキースはここ四年のあいだに、三度も世界一に輝いている。仕事では、ある広告・販売キャンペーンを提案するための企画書づくりに時間を費やす。

Friday,October 13
来春スタートする、某医薬品メーカーの栄養ドリンクのキャンペーンがらみの仕事のため、バタバタする。修正の何度も連絡が入り、そのたびに急いでコピーを書き直し、疲れた。夕方、一段落して外出した際、北沢タウンホールのそばで、うじきつよしさんを目撃。きょうからスズナリで上演される舞台『アーバンクロウ』に出られているので、おそらく開演までの空き時間、劇場周辺を散策されていたのだろう。

Saturday,October 14
妻と娘と三人で、てくてく散歩しながら物件探をしていたところ、偶然、蓮實重彦さん(「み」の字が文字化けしてたら、すいません)のお宅を発見。詳しい住所は書かないが、幹線道路から近いのに閑静で上品なエリアで、この辺りに住めたらいいかもしれないな、という気になった。実際に住んでみたら、静かすぎて落ち着かないなど、自分勝手な不満を抱いてしまうかもしれないけれど。


第19回 2000年10月12日

Sunday,October 1
北海道広尾町より妻の弟、治くんが来る。妻の実家は、船舶無線の会社をやっていて、治くんはそこの社員。東京は、無線関係の講習を受けにやってたのだ。実家の業務としては、漁船に無線機を取りつけたり、魚群探知機を設置したり、それらのメンテナンスを行ったりしているようだ。

Monday,October 2
昼間のうちに仕事を終わらせ、夜は「ぼちぼち」のお好み焼きや焼きそば、すじ塩などをテイクアウトして食べる。ぼちぼちのすじ塩は、僕の周囲では人気が高いメニュー。牛肉のすじ肉を、(おそらく)味つけしながら煮込んだあと、アルミホイルにつつんで塩を振って炒めたシンプルな料理なのだが、生ビールに合うし、ごはんのおかずにもわるくない。娘を風呂に入れたあと、外出中の治くんから電話があった。「知り合いと一緒に、新宿の伊勢丹のそばにいるんだけど、どっかいい店ない?」との相談。新宿三丁目の居酒屋「池林坊(ちりんぼう)」を教えた。日付が変わるころに戻ってきた治くんに聞くと、満員だったので適当な居酒屋に入ったけど、料理が不味くてまいった、とのこと。新宿は店の数も多いが、宝くじのようにはずれの確率も高い。朝日新聞夕刊で知ったが、シアトル・マリナーズの佐々木主浩投手が大リーグ新人最高記録となる37セーブ目をあげ、チームはプレーオフ地区シリーズ進出を決めたようだ。昨年までマリナーズの主力打者として活躍し、今季からシンシナティ・レッズに移籍してしまったケン・グリフィーJr.は悔しがっているかもしれない。レッズは、ナショナル・リーグ中地区で二位だったが、勝率で東地区のニューヨーク・メッツに及ばす、プレーオフ進出を逸した。メッツの勝率を上回っていれば、ワイルドカードでプレーオフへ出られたのだが。

Tuesday,October 3
妻が娘を連れていく際、保険証のコピーを保母さんに渡してきてくれた。万が一の場合を考え、保険証のコピーを提出してあるのだが、古い保険証のコピーに記載されていた期限が切れていたらしく、新しいものをください、と昨日いわれたためだ。世田谷区では、子供の医療費が六歳まで無料なので非常に助かっている。北海道から来ている治くんは朝早く出て、門前仲町で無線の講習。帰りがけに渋谷クアトロで、ライブを観てきたらしい。出演は、Badly Drawn Boy(バッドリー・ドローン・ボーイ)とサニーデイ・サービス。Badly Drawn Boyのプロモーションビデオは僕も観たことがある。先日、ケーブルテレビのvibeという音楽チャンネルをたまたまつけたら、Badly Drawn Boyの“Disillusion”という曲が流れていた。胸にTAXIと刷られた、黄色いTシャツの外国人男性が、いろんな人をおぶってニューヨークとおぼしき街を走り回るもの。人力のイエローキャブなのだ。そのおぶる男は、ニットの帽子を被り、立派な髭をたくわえていた。その風貌から僕は、往年のプロテニス選手ビヨン・ボルグを思い出してしまった。治くんによると、サニーデイ・サービスは歌もうまく演奏もしっかりしていて、Badly Drawn Boyは演奏はむちゃくちゃだったが乗り乗りでエキサイトしたらしい。プロモーションビデオには、女性のお客さんの指示で楽器屋へ行くシーンがある。女性は、人力運転手に「待っていてくれ」といい、店内でギターを選ぶ。その間、店の前の道路脇に立っていた人力運転手は、やってきた警察官に「駐車違反」のシールを胸に貼られてしまう。この場面がユニークで印象深かった。

Wednesday,October 4
早くも、治くんが北海道へ帰る日。昼前、治くんと妻と一緒に渋谷に出て、マークシティの「つばめグリル」でランチをとる。その後、タワーレコーズへ寄り、そこで治くんと別れる。治くんは、レコード屋をいくつかのぞいてから、羽田空港へ向かい、午後五時の日本エアシステム帯広行きで帰るとのこと。僕と妻は、パルコブックセンター、無印良品、ギャップに立ち寄り、下北沢へ戻って娘をピックアップして帰宅。帰路、レコファンの店頭に貼ってある、レディオヘッドというバンドのポスターを見た。“KID A(キッド・エー)”というニューアルバムの宣伝用ポスターなのだが、「木田」と読んでしまって、自分で笑った(読んでしまった、というのはウソ。本当は、英国出身のロックバンドのアルバム名が「木田」だったらおもしろいのに、と思っただけです)。

Thursday,October 5
引っ越しをなんとなく考えているので、近くの不動産屋をまわり、何軒か内見をする。そのうちの一軒、下北沢と東北沢の間にある一軒家は広く、納戸も付いていたが、昭和四十八年築とかなり古く、庭木の手入れが行き届いていなかった。一軒家は魅力だが、家賃は安くないし、庭の手入れも大変そうなので契約に二の足を踏む。内見のあと、仕事の打ち合わせに出席するため、渋谷経由で田園調布へ。駅前でコピーライターのピート小林さんと待ち合わせて、プロデューサーのYさんのオフィスへ。ミーティング終了後、出前の寿司とワインやビールをいただき、ほろ酔い気分で帰宅。すでに、妻が娘を寝かしつけてくれたあとだった。

Friday,October 6
娘は、保育室のみんなとともに代沢五丁目公園へ連れて行ってもらい、大はしゃぎだったらしい。大きい子たち(といっても、うちの十一カ月の娘より大きいという意味で、まだ二歳にはなっていないくらいの子供たち)がすべり台で遊んでいるのを見て、うちの娘がうらやましそうにしていたとか。それで娘は、保母さんに抱っこされ、すべり台の上まで連れていってもらい、初すべりを体験。うつぶせ状態で足のほうから、すべったらしい。すべっているときは喜ぶでもこわがるでもなく、きょとんとしていたそうだ。

Saturday,October 7
福岡ダイエーホークスが本拠地最終戦で、ようやくリーグ優勝を決める。テレビ観戦中、テーブルの上に置いた、僕の愛読書である日刊スポーツグラフ『プロ野球選手名鑑2000』を、娘がつかまり立ちをしながら、手を伸ばして持っていってしまった。見ると、娘はヤクルトのページを開いている。いったい、スワローズのどの選手が気になるのか。「はなちゃん、返してや!」というと、こちらに背中を向け、選手名鑑を僕に取られないようにする。このところ好き嫌いがはっきりしてきたし、所有欲が芽生えたのかもしれない。

第18回 2000年10月2日

Sunday,September 24
シドニー五輪の女子マラソンで、高橋尚子選手が金メダル。一度は大きく引き離した二位のシモン選手が、競技場のトラックでじわじわ距離を詰めてきたので、観ていてひやひやした。夜、巨人がリーグ優勝を決める。九回の裏に、四点差を江藤選手の満塁ホームランで追いつき、直後に二岡選手のサヨナラ本塁打。ホームラン軍団のジャイアンツらしい、優勝決定シーンだった。巨人ファンの妻が大喜びしているので、近くの酒屋でビールを買ってきて祝杯をあげる。僕は阪神ファンなのだが。娘を何度も胴上げしたため、興奮したのか、十一時半ごろまで眠らなかった。生後十カ月半の娘にしては、けっこうな夜更かしだ。

Monday,September 25
顔や足に湿しんがぽつぽつ出ていたので、娘を副島クリニックへ連れていく。タンパク質に反応して湿しんが出るアレルギーかもしれない、と先生に言われる。とりあえず、薬をもらって様子をみることになる。五輪の男子110mハードルという競技を観戦。なぜ100メートルでなく、110メートルという中途半端な距離なんだろう。ハードル以外にも、一日中オリンピック中継を観て過ごしてしまう。オリンピックもいいが、いいかげん仕事をしなければ。

Tuesday,September 26
ジョニー黒木投手が好投するも、野球はキューバに敗れ、日本の金・銀はなくなった。韓国と三位決定戦を明日行うことになる。女子ソフトボールは、アメリカにサヨナラ負けを喫し、惜しくも銀メダル。レフトフライをサヨナラ落球してしまった小関選手が気の毒だ。それにしても、「ソフトボール・センター」とか「ベースボール・スタジアム」とか「スーパー・ドーム」など、シドニー五輪の競技場の名前には、単純なものが多くて驚かされる。シンプルすぎてストレートすぎて、意表をつかれる。

Wednesday,September 27
午前中に中央区新富町で打ち合わせをすませたあと、三軒茶屋のシアタートラムでNODA・MAPの番外公演『農業少女』を観る。出演者は、深津絵里・松尾スズキ・明星真由美・野田秀樹の四人(敬称略)。有機栽培米や不登校少女やボランティアや上京などをテーマにした(といっても、どんな芝居だかよくわからないだろうが)、野田秀樹さんらしいユーモアと軽い皮肉に満ちた舞台だった。筑紫哲也さん、CF演出家の川崎徹さんも観劇に来られていた。それはそうと開演前に、五輪野球の日本チームが韓国に敗戦し、銅メダルも逃したことをラジオで知り、ショックを受ける。ふだん意識することはほとんどないのだが、サッカーや野球の代表戦となると、自分が「日本人であること」を再認識する。隣に三階建てのワンルームマンションができるらしい。工事がはじまると騒々しくなるし、完成したら日当たりがわるくなるだろうし、引っ越したくなってくる。

Thursday,September 28
男子走り幅跳びで銀メダルを獲得した、オーストラリアのトーリマ選手が気に入った。ゴーグルのようなサングラスをかけ、長髪を振り乱しながら全力で助走し、空中を舞う姿に笑ってしまう。僅差で二位になってしまったこのトーリマ選手、本国ではかなりの人気者らしい。そういえば、このトーリマ選手、サッカー五輪日本代表のFW平瀬選手と、トルシエ監督の通訳フローラン・ダバディーさんを足して二で割ったような雰囲気(といっても、ピンと来ないかもしれないけど)。それはともかく、大の大人の男性を「男子」と呼ぶのは、どうなんだろう。とはいえ、「男性走り幅跳び」や「紳士走り幅跳び」や「オトコ走り幅跳び」では、やっぱり変か。

Friday,September 29
映画『ざわざわ下北沢』をシネマ下北沢で観る。自分の暮らしている街が登場するので、食い入るように観てしまう。映画を観終わって帰ろうとしたとき、車椅子の女性が階段を上がるのを、何人かが手手伝っていたので、僕も少しだけ手を貸した。一緒にいた僕の妻は、車椅子の女性のことを「指揮者の小沢征爾さんのお母さんよ」と教えてくれた。主演のひとりが、小沢征爾さんの長男・小沢征悦さんだったので、お孫さんの演技を観に来られたのだろう。夜、焼鳥屋「でこ助」でフリースタイルの吉田さん、コピーライターのピート小林さんと飲む。途中、ピートさんのお知り合いの、やはりコピーライターの田村義信さんが登場。フリースタイル発行の片岡義男さんの本『英語で日本語を考える』についての話を皮切りに、いろいろ語り合う。大先輩のコピーライター田村さんとピートさんの前だったため、僕は緊張をほぐそうと、ついつい生ビールを飲み過ぎてしまう。

Saturday,September 23
昨夜ビールを飲み過ぎたため、朝から軽い二日酔いでだらだらする。横になったまま、サッカーの五輪決勝戦、スペイン対カメルーンをテレビで観戦。過去にガンバ大阪で大活躍したエムボマがいるカメルーンを応援していたのだが、前半にスペインが二点先制。後半に入り、僕はいつの間にかうとうとしてしまい、目覚めると、カメルーンが同点に追いついていた。試合の行方が気になって仕方なかったが、新富町で打ち合わせがあるので、延長戦の途中でしぶしぶ観戦を断念し、家を出る。新富町駅から地上に出たところで妻に電話をし、結果を聞いた。PK戦の末、カメルーンが金メダルを獲得したらしい。PKをただ一人はずした、スペインの選手に同情する。先日の日本対米国戦で、PKを失敗した中田英寿選手も気の毒だが、この選手もかわいそうだ。PK戦とは残酷なルールなり。PKで決着をつけるしかないのだろうか。じゃんけんやあみだくじで決めるわけにもいかないし、両チームに金メダルを、というのもすっきりしないし、しようがないのかな。エムボマ選手を紹介するとき、日本のアナウンサーは必ずといっても「浪速の黒豹」という表現をするが、海外でも「ナニワノクロヒョウ」と呼ばれていたらおもしろいのにな、と考えてしまう(呼ばれてるわけないけど)。

第17回 2000年9月24日

Sunday,September 17
五輪野球、日本がアメリカに4対2で、サヨナラ負けを喫する。松坂投手、杉内投手ともにわるくなかったが、打撃陣が今ひとつ。できることなら、これからでも、巨人の松井秀樹選手や高橋由伸選手などに加わってもらいたいくらいだ。そして夜、五輪サッカー。中田英寿・稲本潤一両選手が一点ずつをあげ、日本はスロバキアを倒すが、ブラジルが南アフリカにまさかの敗北。日本の決勝ラウンド進出は、先送りになる。なんでこうなるの。たのむぜ、ブラジル。スロバキア戦は、コピーライターの松葉とともに晩飯を食いながら観たのだが、終始、うちの娘はご機嫌。「ファーファーファー」「マーマーマー」「ヤッチャ、ヤッチャ、ヤッチャ」となどと解読不能の言葉を発し続けていた。松葉が加わり、いつもより家にいる人数が多かったからはしゃいでいたのか、それとも中田英寿選手または稲本選手のファンなのか。ようわからん。

Monday,September 18
五輪野球で、韓国がオーストラリアに敗れて驚いた。保育室で娘の身体測定があったらしい。身長七十二・一センチ、体重八・二六キロ。娘はけっこう食べているのに、このところ体重がほとんど増えない。親としては少し気になる。夜、日本テレビでやっていたオリンピック野球中継「日本対オランダ戦」の放送が終わったので、ケーブルテレビのチャンネルをまわしていると、『ビーチバレーに賭けた夏』というアメリカ映画が流れていた。ビーチバレー映画というのは日本ではあまり聞いたことがないが、米国にはけっこうあるのだろうか。日本よりはビーチバレー人気も高そうだし、もしかしたらビーチバレーを題材にした映画だって、たくさん作られているかもしれない。

Tuesday,September 19
またもや五輪を観てしまう。日本はソフトボールで優勝候補筆頭のアメリカを、野球で地元オーストラリアを下す。豪州のセンターをマクドナルドという選手が守っていたが、なぜマクドナルドはMCDONALDでなく、 McDONALDと、必ず小文字混じりで綴るのだろう。人の名前でも、ハンバーガーチェーンでも、マクドナルドのcはいつも小文字だったはず。午後、フリースタイルの吉田さんが遊びにやって来た。夕方までいろいろと話をする。おもちゃの縦笛をヒューヒュー吹くのが、娘は大好きみたいだ。

Wednesday,September 20
某大学の大学案内パンフレット制作のための打ち合わせのため、品川区へ。五輪サッカーは、日本がブラジルに敗れる。が、スロバキアが南アフリカを撃破してくれたため、かろうじて日本は準々決勝へ駒を進めることができた。次は、二十三日にアメリカ戦。このところ、五輪びたりであまり仕事をしていない。

Thursday,September 21
赤坂ツインタワー一階の国際交流基金フォーラムで『議事堂を梱包する』という映画を観る。これは、梱包芸術家のクリストが、ベルリンの旧帝国議会議事堂を布で梱包するまでの二十数年間を追ったドキュメンタリーで、ドイツ政府や議会を説得するまでの熱意にも感心したが、それよりも完成時の美しさに感銘を受けた。議事堂を包んだ布が揺れる、その瞬間瞬間の美は記録写真からは感じられなかったものだ。フィルムという動画メディアの価値を改めて意識させられた。

Friday,September 22
大学案内パンフレットの打ち合わせの帰り、三軒茶屋でピートさんと少し飲む。そのあと、三軒茶屋から二十分ほど歩いて帰宅すると、すでに娘は熟睡。きょう一日の出来事を報告しながら、妻とビールを飲む。ほんとは報告というより、おしゃべりの僕が一方的にしゃべっているだけなのだが。

Saturday,September 23
昼間、五輪野球を観て、夜は五輪サッカー。野球は韓国に負け、サッカーは米国にPK戦の末、敗れた。一気に力が抜ける。サッカーは、デザイナーの宮下君といっしょにうちで観戦。妻がつくったカレーとトムヤムスープを、宮下君がぺろりとたいらげてくれ、ほっとする。娘はいよいよ人見知りがはじまったのか、宮下君のことを最初は警戒しているみたいだった。サッカーは十月にアジアカップがあるが、五輪代表メンバーのうち何人がA代表に選出されるか非常に気になる。

第16回 2000年9月12日

Sunday,September 10
ブレーンズ二回戦。四対一で突破。旭川龍谷高校野球部出身の渡部大介くんの二度のファインプレーに救われた。試合後、タケちゃんと二人で、新富町駅そばの中央会館で軽食。軽く、のつもりが、生ビールをジョッキ四杯も飲んでしまう。家に戻ってから、アソボウズが朝日新聞に取り上げられていたことを妻に聞く。ご存知の人もいると思うがアソボウズというのは、プロ野球のスコアデータなどを提供している会社。朝日新聞によると、データ放送やインターネットとの融合が可能なBSデジタル放送開始に合わせ、NHKや在京民放、日本IBM、電通などがアソボウズとの提携を希望しているらしい。アソボウズ、おそろしや。

Monday,September 11
娘がつかまり立ちのまま、横へ二歩歩けるようになった。大いに感激。親というのは、ちょっとしたことで感動する生き物である。

Tuesday,September 12
小田急ケーブルの工事をしてもらう。ケーブルテレビの線でインターネットをすると、電話料金がかからないようになる。そのために加入した。そんなにインターネットばかりしていたわけではないが、接続時間を気にしなくてもいいようになるのはうれしい。

Wednesday,September 13
仕事先の方々に、尾山台のイタリアンレストランへ連れて行ってもらう。ワインも料理もおいしくいただいた。感謝。帰宅後、妻と二人でビールを飲む。尾山台を訪れたのは、生まれて初めてだった。「小山台」と書くんだと思っていた。

Thursday,September 14
旗の台であった仕事の打ち合わせを切り上げ、大急ぎで帰宅。五輪代表の初戦、日本対南アフリカのキックオフにぎりぎり間に合う。どきどきしながら観たが、高原選手が二点を獲って、なんとか勝つ。二戦目は十七日にあり、スロバキアが相手。もうひとりのスタメンFW柳沢選手もがんばっていたが、次は高原選手と平瀬選手のツートップを観てみたい。

Friday,September 15
昼間、妻や娘といっしょに渋谷へ出て、新しくつくった眼鏡を受け取ったり、東急百貨店でかばんを買ったりしたあと、家に帰り、シドニー五輪の開会式をテレビで観る。選手入場が終わるとオリビア・ニュートン・ジョンと、なんとかいう男性歌手がスタジアムに登場して、デュエットソングを披露。そうか、オリビア・ニュートン・ジョンは豪州出身か。すっかり忘れていた。

Saturday,September 16
YAHOO JAPANのホームページを見ていて知ったのだが、五輪の選手入場の際に、日本選手団が着ていた極彩色のマントが、一部で問題になっているらしい。マントは何パターンか色があるので、日本選手団全体を見るとレインボーカラーといえなくもない。なんでも、レインボーカラーは地元オーストラリアでは、ゲイを象徴する色、とのこと。これが縁で、オーストラリア中のゲイの人たちが、日本を応援してくれればいいのに。

第15回 2000年9月12日

Sunday,September 3
コピーライターのアンドレスさんと彼の愛息、レナンくんとともに北沢八幡宮へ。予想以上の混雑に、アンドレスさんは驚いている様子。出店の生ビールを死ぬほど飲みたかったが、酒好きなのにいまドクターストップがかかっていて飲めないアンドレスさんを気遣い、僕も妻も我慢する。神社の脇のガレージセールで、アンドレスさんはゴルフバッグを千円で購入。お祭りを見に行って、ゴルフバッグを買ってしまう人は、あまりいないよ。帰ろうとしたとき、「大倉さん」と呼ぶ人がいたので振り返るとフリースタイルの吉田さんだった。

Monday,September 4
知り合いの誘いで、銀座まで出向いてあるテレビCMの出演者オーディションに参加。僕にとっては、生まれて初めてのオーディションだった。しかしというか、やっぱりいうか落選。芝居というのは難しい。オーディションの最中は、自分では緊張しいていないと思っていたのだが、帰る電車のなかで疲れがどっと出てきた。帰宅すると、娘は寝入っていたので、妻といっしょにビールを午前一時ごろまで飲む。「引きこもり」について語り合う。きょうから朝日新聞夕刊ではじまった、高橋源一郎さんの連載小説は、当人をモデルにしたタカハシさんという作家が出てくる。羽賀研二やジャニーズ事務所が文中に登場するなど、高尚でなく、俗っぽくておもしろい。新しいことに挑戦しようとする、高橋さんが意気込みが伝わってくる。明日が楽しみ。僕は高橋さんと誕生日が同じということもあって、以前からひそかに応援している。もちろん、高橋さんの小説や文芸評論も好きだ。最近、読んでなかったけど。

Tuesday,September 5
日本対モロッコ戦をテレビで観る。やはり、日本のFWは弱い。中田英寿さんをはじめとする日本選手の袖や肩を、モロッコの選手が引っ張るなどファウルを連発していたのに、審判はイエローカードをほとんど出さなかった。反則をちゃんと取ってくれよ。日本は三対一で勝つには勝ったが、スカッとするゲームではなかった。

Wednesday,September 6
大先輩コピーライターのピート小林さんと、神宮球場でヤクルト対阪神戦を観る。三対二でスワローズに軍配。ヤクルトの高津投手がプロ入り通算百五十セーブをあげる。佐々木主浩投手、江夏豊投手に次ぐ歴代三位の記録だという。僕は阪神ファンだが、祝福してあげたい気持ちだ。勝敗はともかく、ことし初めての生観戦だったので、十分に楽しめた。それにしても、神宮球場で飲むビールはうまい。野球は、やっぱり外でなくちゃ。

Thursday,September 7
北海道・広尾町、妻の実家から秋刀魚が五十尾が届く。ものすごい量だ。娘は、つかまり立ちを頻繁にするようになってきた。夕食後、娘を風呂に入れてから、ひと仕事。

Friday,September 8
某大学の学校案内パンフレットのコピーを書き続ける。午後四時過ぎ、妻の友人が旅行のお土産を持ってきてくれた。午後五時半、妻といっしょに保育室へ行き、洗濯物と受け取り、娘を連れ帰る。僕もハイハイの姿勢をして追いかけっこをしたり、布団の上でごろごろ転がったり、夕食まで娘と遊びまくる。巨人戦を観たあと、娘を寝かしつけ、入浴を済ませて仕事。学校案内用のコピーをまだまだ書かなければならない。

Saturday,September 9
渋谷で眼鏡を購入。眼鏡を買い換えたのは、四年ぶりくらいだと思う。夜九時からNHK教育テレビの番組で、漫画家の内田春菊さんが子育てについて語っていた。内田さんの話を聞いて、「育児というのは、こうしなければいけない」というルールなどないことに、改めて気づかされた。僕らも、楽な気持ちで子育てをしようと思う。土日に進めておかないといけない仕事があるが、明日は草野球の公式戦なので早めに床につく。

第14回 2000年9月5日

Sunday,August 27
昼間、広尾の日赤病院へ知人の見舞いに行く。渋谷から出ている「学03」系統のバスに初めて乗って行ったのだが、大人百七十円という低料金に驚く。他のバスはたいてい二百円か二百十円しているのに。夜、山崎浩一さんファミリーとともに、代沢小学校の脇で花火。花火をしたのは、大学生のとき以来だったので実に楽しかった。もっとも、打ち上げ花火のような派手なやつは、店舗ビルや住宅が密集している下北沢地区では禁止されているので、線香花火をはじめとする地味なわびさび系の花火しかできない。東京で、一般人が打ち上げ花火を自由に楽しめる場所なんてあるのだろうか。聞いた話では、多摩川の河川敷のような広い場所でも禁止されているらしい。夜十時ごろ、妻が娘を寝かしつけようと悪戦苦闘していると、娘がとつぜん妻に体当たり。その際、妻の前歯がおでこにぶつかった娘が号泣。というより、声さえ出ないほど苦痛の表情を見せる。と思いきや、あっという間に娘は眠ってしまう。

Monday,August 28
このところゴキブリが多発して(いつもは一年に一度くらいしか、我が家では出没しないのに、今年はすでに三回も現れた)いたので、昼間、アースレッドを炊く。夜、はながローテーブルにつかまり立ち上がったあと、自分で床にぺたんと座った。つかまり立ちをしたあと、自分ひちりで座れなくて困っていた娘が、その状態から自らの力で座ったのは初めてだ。ほんとに子供というのは、少しずつ少しずつ成長するので、忙しくても毎日できるだけ一緒に過ごさないと「成長の瞬間」を見逃してしまう。

Tuesday,August 29
午前十一時、ヨシエ歯科へ。待合いスペースに置いてあった、村上龍さんの著書『あの金で何が買えたか―バブル・ファンタジー』を読んでいて、イラストを担当をしている、はまのゆかさんという女性が、僕が通っていた大学の後輩にあたることを知る。プロフィールを見ると、まだ現役の学生らしい。本の内容にもよく合っているし、なかなか好感の持てるイラストだった。

Wednesday,August 30
はなの晩ごはんは、しらずがゆ、キウイ、トマトとブロッコリーのミルク煮、大根とじゃがいもの味噌汁、それからミルク百CC。よほど腹が減っていたらしく、かつてないほどの量をたいらげた。

Thursday,August 31
夕方、赤坂でミーティングと入稿。同席したデザイナーの鈴木君は、打ち合わせ終了後、近くのじゃんがらラーメンに寄るというので、打ち合わせ先企業の前で別れた。僕は文鳥堂書店をのぞき、玉村豊男さんが書いた『東欧・旅の雑学ノート 腹立ちてやがて哀しき社会主義』という文庫本を購入。僕もデレスデン、デッサウ、プラハなど、ベルリンの壁崩壊前の東ヨーロッパを訪れたことがあるので、懐かしい気がして買ってしまった。

Friday,September 1
某テレビ局のフリーペーパーのための原稿づくりに追われる。原稿がある程度まとまったところで、デザイン事務所にメール。ところがしばらくして、メールが届いていないという電話が、デザイナーから入る。仕方なく再度、原稿を送信したのだが、あとで聞いているみると、メールが届かなかった理由はこうだった。最近、そのデザイン会社のボスが最近、モバイル用パソコンとしてソニーのVAIOを購入。それにケータイをつないで、ボスは外からメールチェックをした。そして、外からアクセスして取り出してしまったメールは、事務所から再度アクセスしてももう届かない、という設定になっていたらしい。困ったものだが、僕のミスじゃなくてよかった。その事務所の若手デザイナーにやんわりと苦情を訴える。

Saturday,September 2
デザイナーの浅石さん一家とともに、ラ・ベファーナで昼食をすませたあと、北沢八幡宮のお祭りの子供みこしに参加。といっても、うちの娘はまだ歩けないし、みこしを担げるはずもないので、抱っこしながら、子供みこしのあとをてくてくついていく。残暑が厳しく、三十五度近い気温。むちゃくちゃ暑い。担がなくても倒れそうになる。浅石さん一家もお疲れのご様子。一時間ほど、下北沢の駅周辺を練り歩いただけだが、思いのほか疲れた。大人みこしへの参加はせず、ビールを買って帰宅。日本対クウェートの五輪壮行試合をテレビで観戦。結果的には、日本は大量六点をあげて勝ったが、前半に限ってはFWはいつものように頼りない、決定力に乏しいという印象が残った。どうでもいいことだけど、スタメン出場したジュビロ磐田所属のFW高原選手は、見た目が漁師っぽい気がする。

第13回 2000年8月30日

Sunday,August 20
娘の妻を連れ、コラムニストの山崎浩一さん宅で昼食をよばれる。山崎さんちのアッくんは、うちの娘より約一カ月遅れで生まれたのだが、さすがは男の子、成長が速い。前に見たときはうちのはなのほうが大きかったのに、あっという間に追いつかれた。Yさん宅には和室があったが、はなは畳が初めて。こけても痛くないし、フローリングの床よりハイハイしやすいみたいで、うれしそうだった。帰宅後、はなが、つたい立ち歩きを初めて見せた。

Monday,August 21
朝、保育室で会ったデザイナーのAさんから「マッキントッシュ・パフォーマ、いりませんか?」と言われ、即答で譲り受けることにした。なんでもG4を買うことにしたので、古くなったパフォーマを処分しようと思っていたらしい。パフォーマをどう使うかはまだ決めていないが、タダと聞くとすぐにもらってしまうのは、大阪人である僕の性かもしれない。AさんがG4にいろんなソフトを入れ、仕事で使える状態になったら、「パフォーマを取りに来てもいいよ」という電話を」をくれるらしい。夕方、劇作家・演出家の宮沢章夫さんから返事のメールが届いた。宮沢さんは僕と同様、世田谷区に住んでいるのだが、もうすぐ京都に移住するらしい。僕は京都に住んでいたことがあるので、喫茶店や古本屋の情報を宮沢さんにメールしたところ、それに対する返事をくださったのだ。

Tuesday,August 22
新富町のデザイン事務所で打ち合わせ。その事務所といっしょに衛星放送がらみの仕事をしているのだが、これがなかなか終わらない。もう手を離れるだろうと思ったら修正が入り、今度こそは納品できるだろうという段になると直しが届く。エンドレス・ワークなのか。

Wednesday,August 23
午後一時、幡ヶ谷にあるGSスタジオへ。某テレビ局のフリーペーパーのための取材。ドラマのプロデューサーと歌手の上原多香子さんからコメントを取る。取材終了後、タクシーでいったん事務所へ戻り、表参道にあるピート小林さんのオフィスへ。某大学の学校案内制作のための打ち合わせをする。途中、ピートさんの知り合いのカメラマンの方が見え、高校野球の話で大いに盛り上がる。

Thursday,August 24
学校案内のアイデアを練って、A4のコピー用紙に手書きでまとめる。

Friday,August 25
午後一時五十分に田園調布駅前でピートさんと待ち合わせて、そこから徒歩おそよ十分のマンションの一室へ移動。学校案内についての打ち合わせがあったのである。僕は、田園調布を訪れたのはこれが初めて。良く言えば閑静な街、わるくいえば活気のない場所だと感じた。昼間の時間帯だったからかもしれないが。

Saturday,August 26
はな、三十七度五分の発熱。仕事が残っていたし、はなも調子がわるいしで、ほとんど外へ出ずに過ごす。ただ一度、「ナチュラルハウス」という自然食のスーパーマーケットへ行ったところ、店の前でコピーライターのアンドレスさんとばったり会う。アンドレスさんは“mononucleausis”という病気にかかっていて、朝晩きっちり高熱を出しているらしい。つらそうだった。

第12回 2000年8月23日

Sunday,August 13
台風の影響で、朝から雨が止まない。テレビで高校野球を観て過ごす。娘のはなは、家で機嫌がわるくても外へ連れていくとたいていうれしそうな表情に変わる。だから悪天候は困るのである。

Monday,August 14
お盆というのに仕事。夕方、某テレビ局のプロデューサーに新しいドラマに関する話を聞くため、小田急と地下鉄を乗り継いで麹町へ。帰り、西新宿にあるコンラン・ショップへ寄り、おもちゃのテニスラケットとボールを購入。前に一度買ったことがあるのだが、ラケット一本ではゲームもできないので、追加で一セット手に入れることにしたのだ。
娘はまだ小さすぎて使いこなせないが、テニス好きの人間がやるとけっこう楽しめる。娘が寝たあと、狭いリビングルームで妻と一時間もボールを打ち合ってしまった。

Tuesday,August 15
娘が三十八度八分の熱を出す。昼、下北沢北口の「舶来屋」で、店員のまかないカレーをテイクアウトして食す。ほどよくスパイスが効いていて、辛くはなく、思ったよりうまかった。副島クリニックで以前もらい、余っていた解熱剤を飲ませたおかげか、夜九時過ぎには娘の体温は三十七度三分まで下がった。

Wednesday,August 16
朝起きると、娘の体温は正常値(三十七度以下)まで戻っていた。もう一日様子をみようかとも考えたが、きょうは仕事が動きそうにないため、五反田のTOC(東京卸売りセンター)五階にある「赤ちゃんホンポ」へ、妻とともに娘を連れて出かけた。そこで子供用の椅子いくつかに娘を座らせ、試したのち、ノルウェー製の木の椅子を購入。TOCの正面入口前で待機していたタクシーにその椅子や、その他の買い物を積み込み、帰宅。すぐさま木製椅子を組み立て、娘を座らせると、僕たち夫婦の顔を見ながら「あー」「うー」と喜びの声をあげる。

Thursday,August 17
某テレビ局のフリーペーパーの仕事に取りかかる。その局で十月から始まるドラマをそのフリーペーパーで取り上げるのだが、出演者が忙しく直接取材できないことになり、質問項目をまとめたインタビューシートをパ−ソナルコンピュータでつくり、クライアントにメールする。クライアントからタレント事務所にファクスをし、質問に対する答えを書き入れてもらった用紙を、こちらに戻してもらうことになった。いつもは出演者の方々に会って話を聞いていたのだが、今回は時間が取れず無理らしい。とても残念だ。午後三時、新富町にあるデザイン事務所でデジタル放送関係の仕事の打ち合わせ。帰途、資料にするため、八丁堀のコンビニエンスストアで雑誌DIMEを買う。

Friday,August 18
昨日打ち合わせた仕事のコピーを考える。夕方、妻と娘と買い物。下北沢北口の大丸ピーコックで野菜や果物を選んでいると、コピーライターKさんの奥さんにばったり。あいさつをし、立ち話を少しして地階へ。すると今度は、コラムニストYさんの奥さんと遭遇。実は、お聞きしたいことがあってこのお二人に連絡をしようと思っていた矢先だったのだ。偶然とはいえラッキーな一日だった。

Saturday,August 19
急な修正が入ったため、休日返上で仕事をするはめになる。午後から出かけるつもりをしていたのにそれが不可能になり、妻はがっかりしている様子。申し訳なく思う。

第11回 2000年8月17日

Sunday,August 6
日曜日だというのに、朝から中央区明石町の広告代理店で打ち合わせ。その後、新富町にあるデザイナーの事務所へ移動し、ラフに入れ込んでもらっているコピーが間違っていないかチェック。午後三時半、僕が受け持っている部分の仕事は終了。帰宅し、シャワーを浴びてから家族で散歩することに。東北沢と池ノ上の間にある「現代ハイツ」へ。前に行ったとき、店は閉まっていたが、今回はオープンしていた。カフェとギャラリー、アートショップ、CDショップなどの機能を持っている。カフェから広がるカレーのにおいに、僕の胃袋が反応し、猛烈に空腹感が押し寄せてくる。下北沢北口の「Hachi」へ行き、生ビール片手にHachi流エスニック料理を堪能する。

Monday,August 7
恵比寿に事務所を構えるコピーライターSさんを訪ねる。うちは夫婦二人だけの零細オフィスでだれかを雇うような余裕もないけど、Sさんはアシスタントの女の子まで雇っていてすごい。保育室ではこのところ毎日、水遊びをしているようだが、うちの娘はちゃぷちゃぷ水と戯れるのが大好きだそうだ。

Tuesday,August 8
フリーランスのグラフィックデザイナーS君、広告制作会社の営業Iさんと渋谷・道玄坂の「ガシラ」という店で食事。二階の和室へ通され、関あじの刺身、ざる豆腐、はもの天ぷらなどをおいしくいただいた。料理の旨い店だったが、冷房が効きすぎだった。娘はきょうも、水遊びをたっぷりやったそうだ。あじには人食いウィルスが入っているかもしれない、とS君が言ったおかげで皆、一瞬、箸が止まる。

Wednesday,August 9
『禁煙セラピー』という本を読む。それ以外はたいしたことは何もせず。

Thursday,August 10
午後二時、外苑前に某コピーライターの事務所で、ある大学の学校案内パンフレットの制作についての打ち合わせ。外からは蝉の声、室内ではラジオの高校野球中継。季節感があふれ、肩の凝らないミーティングだった。下北沢へ戻ったとたん、新富町にあるデザイン事務所から電話があり、急遽、出動することになる。とっくに終わったと思っていた仕事がまた動き出したらしい。しかも、大急ぎで修正に対応しないといけない。飯田橋まで行き、長い打ち合わせに参加。帰宅したときは日付が変わっていた。ビールを飲んで眠る。

Friday,August 11
昨日聞いてきた修正作業をするため、早朝に起床。先方のオーダーを反映させつつ、ひたすらコピーを制作。午後三時過ぎにすべてのコピーをアップし、新富町のデザイン事務所へメール。解放される。午後五時半、妻と一緒に保育室へ出向き、娘をピックアップ。保母のTさんは明日から夏休みだそうで、いったん帰って、夜中に友達の車で東京を出るらしい。東名高速道路に乗り、静岡県のどこだかでインターチェンジを降り、一般道を走って、岐阜県にある実家まで帰るとのこと。名古屋までひたすら高速道路を走るより、お盆の時期はそのルートのほうが早いのだろうか。僕はほとんど車に乗らないのでピンと来ない。保育室からの帰途、博文堂書店で『演劇入門』(平田オリザ著、講談社現代新書)を見つけて買う。

Saturday,August 12
きょうから八月二十日まで、娘の面倒をみてくれている保育室が夏期休暇。であるので、お盆の前後は家族三人で過ごすことにする。遠出することも一度は考えてみたが、離乳食、ミルク、紙おむつ、着替えなどをはじめ、荷物がかなり多くなるし、どこへ行っても混んでるし、マイカーも持っていないので、お盆休み期間は近場への外出くらいにとどめておくことにする。まあ、少しでも進めておいたほうがいい仕事も、ないわけではないし。

第10回 2000年8月10日

Sunday,July 30
朝から中央区月島で草野球の公式戦。初回に六点取られたが、相手投手の押し出し四球連発などに助けられ、逆転勝ちをおさめる。試合後、タケちゃんと中央会館一階のレストランで昼飯がてら、生ビールを浴びるほど飲む。酔っぱらってタケちゃんとともに帰宅し、出田を呼び出すとまたもやビール、ビール。夜十時

Monday,July 31
午後、赤坂で打ち合わせ。外出ついでにどこかへ寄って帰ろうかと思ったが、あまりの暑さにめげる。ミーティング終了後、そそくさと下北沢に戻り、幻游舎(げんゆうしゃ。こんな漢字だったかな)に寄り、『A面B面』(阿久悠+和田誠、文藝春秋)を含めて古書三冊を購入。夜、CS放送がらみの仕事の企画書をこせこせ考える。そういえば立ち読みした『「捨てる!」技術』にも、著者が利用する古書店として、この幻游舎が登場していた(同書の中では下北沢のG舎と表記されていたが、まちがいなく幻游舎のことだと思う)。著者は下北沢周辺に住んでいるのだろうか。

Tuesday,August 1
朝、企画書のコピー案をメールした後、『30×30×30 30代建築家30人による30の住宅展』を見るため、新宿パークタワーのパークタワーホールへ。三十人が提案する住宅モデルや考え方はさまざまで楽しめた。お客には建築業界人や、建築を学ぶ学生が多かったように思う。帰宅後、夕食をとると疲れがどっと出て、仕事があるのに寝てしまう。

Wednesday,August 2
飴を噛んだとたん、義歯が欠ける。夕方、歯科へ行って修復してもらう。夜、東銀座で携帯電話のキャンペーンについての打ち合わせ。七時から始まったこのミーティングが終わったのは十時過ぎ。長い打ち合わせというのは、何回やっても慣れないし、疲れるものだ。夕方、妻が娘を副島クリニックへ連れて行ってくれ、九カ月検診を受ける。結果は身長・体重とも、標準を少し超えているとのこと。小さいより大きいほうが、親としてはうれしい。ただ、僕も妻も背が低いほうなので、娘がどこまで大きくなってくれるか、ちょっと心配。

Thursday,August 3
朝、娘がハイハイで三歩進む。今までにもハイハイのポーズを取ることはあったが、そのまま前進したのは初。それまでは、ポーズを取っても静止したままだった。でかしたぞ、はな。夜、携帯電話のキャンペーンの打ち合わせに出席するため、中央区明石町の大手広告代理店へ。

Friday,August 4
昼間、携帯電話のキャンペーンについてのアイデアをいろいろ考えておいて、夕方から打ち合わせ。キャンペーンタイトルとB2ポスターの方向性がどうにか決まり、ほっとする。帰宅後、レンタルビデオ店で妻が借りてきた『ラスベガスをやっつけろ』(原題Fear and Loathing in Las Vegas)を観る。テリー・ギリアムが監督したこの作品は、全編ドラッグ漬けのトリップ映画で、疲れ気味の体には応えた。スカッとできる、と予想していたわけではないが、エンドロールが登場したとき、疲労はは観る前の倍になっていた。こういう危ない映画は、体調がいいときでないとつらい、と再認識。映画全体として良かったかどうかはともかく、主演のジョニー・デップがこの作品のために、頭を剃り上げていたのには驚いた。しかも、頭の中央の毛をなくし、両サイドは残すという、どちらかというとかっこ悪いヘアスタイル。ここまでやるのも役者根性なのだろうか。ブラッド・ピットやディカプリオなら、この禿げあがった役を引き受けただろうか。ジョニー・デップには半分感心し、半分あきれた。

Saturday,August 5
携帯電話キャンペーンのリーフレット用のコピーを考え、デザイナーのKさんにメール。この作業に思ったより時間がかかり、娘とはあまり遊べない一日になった。夜、娘が寝ついてから、ビデオで『ファイトクラブ』。ブラッド・ピットのマッチョな肉体にびっくりした。鍛えた肉体を強調しすぎると、演技力よりも筋肉そのものが気になってしまう(少なくとも僕にとっては)、ということを発見した。

第9回 2000年8月5日

Sunday,July 23
昼前、出田に教えてもらった、池の上と東北沢の間にあるカフェ「現代ハイツ」へ妻や娘といっしょに行く。が、開いていなかった。十五時から営業と店の外に書いてあった。ショックを受ける。バーや居酒屋などの夜の店じゃないんだから、もう少し早い時間から営業してください。お願いします。夜、松葉と駒沢バッティングスタジアムへ。時速百三十キロの球の挑戦してみたが、予想以上に速く、バットにかすりもしない。テレビの野球中継を観てると、百三十キロなんて遅い気がするのに、打席に立ってみるとスピード感がまったく違う。相変わらず、娘は首をイヤイヤと横に振る動作に凝っている。表情はニコニコしていて、まったくイヤそうではない。

Monday,July 24
表参道と赤坂で打ち合わせ。暑さのため、くたくたになる。

Tuesday,July 25
打ち合わせのため、飯田橋の凸版印刷へ。初めて訪れたのだが、ビル自体新しく、一階はちょっとしたホテルのような雰囲気だった。

Wednesday,July 26
外出せず、コピーを考える。娘はピンクのリボンテープを右手でつかみ、床へ落とす、を繰り返す。子供は同じことを何度もやるのが本当に好きだ。

Thursday,July 27
外出せず、コピーを考える。娘は、お座りがだんだん上手くなってきている。

Friday,July 28〜Saturday,July 29
御殿場にあるTOTOの保養施設へおじゃまする。テニス、卓球、食事、風呂、ビール。リフレッシュできた、と言いたいところだが、小さな娘を連れての慣れない遠出で疲れる。とはいえ、夕食は一流ホテルの和食メニューのような豪華さだったし、浴場は広いし、トイレはもちろん「お尻をきれいに洗ってくれる」ウォシュレット。テニスもひさしぶりにできたし、楽しかった。同行メンバーはTOTO勤務の米さん、広告代理店勤務の松葉、内装壁画やデザインをしているタケちゃん、Webデザイナーのハマちゃん、ゴージャラスというロックユニットも組む現代美術家の松蔭さん、それに僕と妻とはなの八人。一泊した帰り、松蔭さんと米さんと松葉は横須賀へ向かい、帰宅組と僕たちとは、東名の横浜町田インター付近で別れた。彼ら三人は、松蔭さんがアートディレクションを担当したHIDEミュージアムを見学するのだ。我々も行きたかったが、娘は疲れ気味だったし、僕も妻も風邪をひきかけていたのでパーキングエリアでの休憩もとらず、御殿場から下北沢までノンストップで戻った。

第8回 2000年7月27日

Sunday,July 16
快晴。午後三時から、駒沢にある電通グラウンド「八星苑」で電通の野球チーム「ZOO」と試合。僕が所属しているのは、以前に勤めていた広告制作会社アドブレーンのチーム「ブレーンズ」。このチーム名を教えたところ、外国人に笑われたことがある。ばかばかしい名前なのだろうか。試合は12対で11でサヨナラ負け。人数がぎりぎりだったため僕は慣れないショートを守ることになり(どこを守っても下手だけど)、エラー三つ。打つほうでは五打席四打数一安打(一四球)。最終打席で二点タイムリー二塁打を放てたのが、せめてもの救い。久しぶりの草野球だったし、暑さでらふらになった。猛暑のなかで全力プレーをしている高校球児は尊敬に値する、という気になった。夜は娘ときゃっきゃっ遊び、すき焼きを食べ、ビールを飲むと、野球疲れからか十時過ぎに寝てしまった。皆既月食をほんの二、三分だけ見た。

Monday,July 17
やり残した仕事があるので四時半に起床。ある企業の会社案内パンフレットのコピー制作を進める。

Tuesday,July 18
某衛星放送会社の仕事が舞い込む。といっても今日のところは、こういう内容の仕事がもうすぐ動くのでよろしく、と知り合いから電話をもらっただけ。夕方、コピーライターのPさんと下北沢南口のドトール前で会い、お願いしていた写真を受け取る。Pさんが撮影された桜の写真の、引き伸ばしプリントである。

Wednesday,July 19
娘がようやく、保育室へ復帰。熱は先週末に下がっていたのだが、そのあと体中に湿しんのようなものが出て、それがひくまで保育室に通わせないでください、といわれていたからである。「突発性発疹」という症状らしい。別に他人に移るものではないし、発疹が現れたことを除けば、娘は平常のように元気だったのだが、娘が入っている保育室ではそういう決まりになっているらしい。仕方がない。突発性発疹が治ったことを伝えるメモを副島先生に書いてもらって、約一週間ぶりに保育室へ復帰できたのである。午後からニ件続けて打ち合わせ。明治神宮前、新富町のそれぞれデザイン事務所へ伺う。

Thursday,July 20
海の日。海へ行かずに過ごす。考えてみるとプールではちょくちょく泳いでいるが、もう十年以上、海で泳いだことがない。海が嫌いなわけではないのだが、気づいてみると十年が過ぎていた。

Friday,July 21
プロ野球二軍のオールスター戦をラジオで楽しむ。イースタンリーグの最後のマウンドに上がったジャイアンツの内薗(うちぞの)投手は同僚選手たちの評価によると、ヤクルトの五十嵐投手より速い球を投げらしい。今季途中から抑えをまかされたいる桑田投手の調子が今ひとつだし、後半戦の巨人の守護神を務めることを期待したい、と解説者はいっていた。一軍戦での豪速球を早く見たい。

Saturday,July 22
突然たずねてきた出田とともに、プロ野球オールスター第一戦をテレビ観戦。二本塁打をかっ飛ばしたペタジーニ選手(ヤクルト)と、左翼席へ二ラン本塁打を放ったローズ選手(ベイスターズ)を除けば、それほど印象に残ったシーンはなかった。結果は五対四でセントラルリーグの勝ち。セ・リーグはこれで球宴新記録の六連勝。均衡したスコアのわりにエキサイティングな試合でもなかったが、スター選手たちのプレイを見ながら飲むビールはやはり格別だった。

第7回 2000年7月27日

Sunday,July 9
何をしていたのか、まったく思い出せない。日記というのは書き忘れると、こういうことになる。

Monday,July 10
娘はひさしぶりに保育室へ。前に行ったのは六月三十日だったので、十日ぶり。保母さんによると、一日の大半、機嫌が悪かったらしい。

Tuesday,July 11
保育室に娘を届けたあと、午前十時三十分にヨシエ歯科へ。下の前の左の歯(何番の
歯というのか知らない)を抜かれる。麻酔を打ってもらったけど、いたたたたたた。
午後、表参道と赤坂で仕事の打ち合わせ。

Wednesday,July 12
取材のため、妻を誘って市川市のシネマコンプレックスへ。初めてのシネコン体験で、『M:I-2(ミッション・インポシブル2)』を観たのだが、シートは座りやすくて疲れにくいし、客席の傾斜が大きいから前の人の頭がスクリーンを遮らないし、大迫力の音響だし、快適だった。ただ映画の内容としては、2より1のほうが良かった気がする。スパイ映画の色が濃かった前作に比べ、アクションシーンに重点が置かれているように感じた。夕方、市川から戻り、下北沢の北口を少しぶらぶらしてから、午後五時半に保育室へ。引き取りに訪れてみると、娘はなんと三十九度の発熱。五時頃から熱が上がったらしい。娘を連れ、急いで副島クリニックへ。薬をもらい帰宅し、離乳食を食べさせ、とにかく一晩様子をみることにする。娘が眠ったのを見届け、フジテレビのドラマ『愛をください』を観る。下北沢が舞台なので、つい最後まで画面に集中してしまう。ところで、年賀状の宛名で書いたことがあるんだけど、「市川市市川」という地名って、なんか奇妙ですよね(市川市市川に在住の方、すいません)。

Thursday,July 13
娘は朝起きてからも三十八度以上の熱があるので、保育室を休ませる。はなちゃんといっしょの一日。夜十時、テレビのチャンネルをTBSの『ZONE』に合わせる。ジャイアンツの清原選手と奥さんの一軍復帰までの奮闘記を追った内容だった。テレビでプロ野球を観ながら、帰ってくる亭主・清原選手のための食事をつくる夫人が映る。そのシーンを観たうちの妻曰く「あんな長い爪で料理できるのかしら」。なかなかチェックが厳しい。

Friday,July 14
娘は、またもや欠席。午後二時、いただいたコピー機のメンテナンスの相談をしたくて、キヤノンの関連会社の人に来てもらう。知っている人もいるかもしれないが、「キャノン」と発音するのに「キヤノン」と表記するのが、この企業の決まり。「ャ」でなく「ヤ」なのだ。

Saturday,July 15
娘の熱がようやく下がる。ラ・ベファーナで、アッカンベーのポーズを繰り返す。楽しそう。同席者は、妻と僕と松葉。はなは、両手足で体を浮かすポーズ(腕立て伏せのしているときのような格好)を繰り返す。ハイハイができるのは、もうすぐかもしれない。夜、ジャイアンツの対ヤクルトのナイターをテレビ観戦。七回裏、巨人の村田真一捕手がセンターへの飛球を放つと、名手・飯田選手がまさかの落球をし、球が転がる間に走者がホームイン。この場面を観ていた娘はテレビの前で手足をバタバタさせて大喜び。村田捕手のファンなのだろうか。幼いうちから渋い趣味だな。

第6回 2000年7月17日

Sunday,July 2
やけに暑い一日。昼頃、外資系広告代理店レオバーネットでコピーライターをしている松葉が遊びに来たので、一緒に近くのベトナム料理店で昼食。その店の主人は小さな子供がいるので、僕たちのような子連れ客にも優しい。僕にとっては、ありがたいレストランである。

Monday,July 3
北海道から妻の母親が来る。妻と娘を連れて羽田空港まで迎えに行ったのだが、予定より早く着いたので「スターバックス」に寄ると、どこかで会ったことのあるおじさんが僕の顔を見ている。向こうも、以前に会ったことがあるが誰だったかしら、というような表情をしている。それで僕が「どこのおじさんやったっけ? 下北沢のどこかの居酒屋かな」と妻に聞くと、「やぎの」と短い返事。思い出した。以前にスチール本棚、ワープロ、木製テーブルと椅子のセットなどを買い取ってもらったことがある、下北沢にある「インテリアショップやぎの」の主だった。一年ほど前に見積もりのため、家に来てもらったとき、このあじさんは1980年代に人気のあったオーストラリア(だったはず)の音楽グループ、エア・サプライのキャップを被っていた。なかなか渋い趣味である。帰りがけ、おじさんに話しかけると、やはり僕のことをぼんやり覚えていたらしい。三日間店を閉めて沖縄へ羽を伸ばしに行くのだという。うらやましい。夜、フリースタイルの吉田さん、新井君が尋ねてきたので一番街のバーで飲む。二軒目の「裏窓」では勘定を済ませると、天然塩の入った小さな袋をくれた。

Tuesday,July 4
同じマンションの住人、池田さんの引っ越し。池田さんのところで不要になった本棚、コピー機、冷蔵庫をいただき、仕事部屋に置く。建築設計事務所を営む池田さんは、すぐそばの一軒家へ移転していった。これで、三階は僕が借りている部屋以外、すべて空き室になった。なんとなく寂しい気がする。

Wednesday,July 5
夕方、駅前の「でんぱっぱ」で携帯電話の機種変更をお願いする。昨日まであちこちの店で品切れしていたドコモのNOKIA(ブルーベルベット色)が入荷したからだ。今で持っていた携帯電話に比べて格段に進化していることに驚く。僕は機械に弱いうえ、取り扱い説明書を読むのがあまり好きではないので、このiモード携帯電話を完璧に使いこなすのはおそらく無理だろう。

Thursday,July 6
クルマ雑誌の通販広告特集6ページぶんのコピーをアップする、つもりだったが、初めての仕事で慣れていなかったため、予想外に時間がかかり、一部翌日アップにしてもらう。できたところまでファクスしたあと修正箇所の指示を受け、それを反映してからデザイナーの方へ文字要素をメール。一日中バタバタしていて、娘と遊ぶ時間がなかった。

Friday,July 7
残りの通販広告コピーを完了。ホッとする。今回の仕事は、助っ人ワークでイレギュラーな内容。知人がフリーダイビングの大会で海外へ出かけて日本にいないため、たまたま僕がピンチヒッターを引き受けたのである。コピーアップが予定よりかなり遅れたが、どうにか一件落着したので良しとする。夕方、妻の母を見送るため羽田空港へ。妻の母が来てくれていたので、ふだんなら月曜から金曜まで保育室へ通う娘を、今週はずっと休ませていた。だれかが子供を見てくれると助かる、というのが実感としてよくわかった。感謝。

Saturday,July 8
家族三人で渋谷の東急ハンズ、パルコ、ブックファーストへ。子供服や収納家具を探すのが主な目的だったのだが、結局、仕事部屋に貼るカレンダー、腕時計に付ける方位磁針を購入しただけで帰宅。渋谷の街でも電車のなかでも娘はあまりぐずらなかったが、それでも妻と二人で出かけるよりは疲れる。幼い子連れで渋谷のような人間密集地区へ行くと、用事が済んだらすぐ帰りたい、という気になってしまう。以前は、本屋をまわったり、ウィンドーショッピングをしたり、明確な目的を持たずにだらだら過ごすこともあったし、それはそれで楽しかったんだけれど。

第5回 2000年7月5日

Sunday,June 25
I君に来てもらって、仕事道具を真上の部屋に移動させる。具体的には、本、本棚、CD、CDラック、エレクター、パソコン、打ち合わせテーブルなど。手伝ってもらったお礼に晩飯をごちそうしようと思っていたのに、物の移動がある程度片付いた午後四時にI君が帰ってしまう。残念。夕食を済ませ、娘を風呂に入れたあと、夜遅くまでかかって、とりあえず仕事ができる状態まで片付ける。本やCDは元あった場所に戻すつもりだったが、そんなことをしていたら終わらないので、本棚やCDラックに適当にぶちこむ。娘の夜泣き、いよいよ始まる。これまでは、夜中にあまり泣かない子だったのに。今後がこわい。

Monday,June 26
事務所開き。フリースタイル社長の吉田さんとバイトの新井くんがひょっこり来て、仕事部屋を眺めまわす。これから離乳食&入浴が控えている娘と妻を家に残したまま、三人で近くの焼鳥屋へ。短時間で生ビールを次から次へと飲む。お酒が入ると、飲みことに集中しすぎて、食べることがおろそかになる。僕の悪い癖だ。案の定、かなり酔っぱらう。

Tuesday,June 27
朝から妻(僕と同業のコピーライター)が、中央区勝どきで池袋にある某百貨店のチラシ制作についての打ち合わせ。妻が出かけたあと、娘を保育室に連れて行き、急いでオフィスに戻ってビジネス用コンピュータソフトのネーミング案をまとめる。その案をデザイナーのSさんにメールし、念のためファクスも送っておいて、代官山へ。アウトレットの前で妻と合流し、集合場所へ向かう。日本人コピーライターのPさん、米国人コピーライターのトムさんと会う。イタリアンレストランで食事をしながら、Pさんが撮影した桜の写真を見せてもらう。Pさんは三月から五月にかけて、計四十九泊の国内旅行に出て、桜の写真を撮りまくってきた。三月に九州からスタートし、桜前線とともに西へ北へ移動し、五月に北海道へ訪れたという。約ニカ月で四十九泊とは恐れ入る。その間はほとんど東京にはいなかったことになる。コピーライターPさんは広告業界で大御所的な存在だが、フォトグラファーとしての腕前もかなりのものだ。僕なんかが、写真についてほめても説得力はないが。

Wednesday,June 28
妻が池袋某百貨店のチラシ・コピーをアップ。僕も妻を少し手伝ったのだが、コピーを書きはじめてみて、流通コピーライター時代が甦ってきた。もう五年以上前のことになるが、当時僕は新富町にあった広告制作会社に勤めていて、千葉そごう百貨店のポスターやチラシなどを担当していたのだ。今回の百貨店はそごうではないが、同じ流通業界に俗するデパートあって、コピーライティングのスタイルとしては共通するものがある。とはいえ、慣れやパターンでコピーを書くのは褒められたものではないが、流通系ならではのコピー作法というのは、確かに存在すると思う。みなさんも機会があったら、新聞に折り込まれてくる百貨店のチラシを比べ読みしてみてください。別々のデパートなのに、共通する雰囲気みたいなものがあるはずです。

Thursday,June 29
朝十時、無印良品下北沢店から電話。取り寄せ注文したアルミ製ブラインドが入荷した、とのこと。十時半の開店に合わせて無印へ行き、ブラインドを購入。戻ってすぐ、仕事部屋の窓につける。これでちょっとは、事務所っぽくなったかな。夕方、保育室から帰る時、娘が保母さんに「バアバ」と言う。ババアじゃない、娘は「バイバイ」と口にしたのだ。すごいぞ、はな。早くしゃべれるようにならないかな。娘を家に連れて帰ったあと、某テレビ局の番組宣伝用フリーペーパーの打ち合わせのため、神楽坂のデザイン事務所へ。予想していたより大人数でのミーティングになり、驚く。フリーペーパーのリニューアル提案をしてほしい、とのオーダーがクライアントであるテレビ局から出ているらしい。各自アイデアを練ってきて、来週持ち寄ろう、ということになる。東西線、半蔵門線、千代田線、小田急線を乗り継いで帰宅したのが八時半。娘はまだ起きていたので、急いで晩飯を食べ、風呂に入れる。娘が就寝してから、シゴト部屋でもうひ仕事。

Friday,June 30
午前中、某シネコンのパンフレットの修正コピーを赤坂の広告会社にメール。その後、何軒かの仕事先に電話。出かける用事はきょうはなさそうなので、仕事部屋の整理を再開する。どうにか仕事ができる状態にはなっているが、それ以上のものではない。あまりお金をかけずになんとかしたいので、二人で知恵をしぼろう、と妻と誓い合う。元サッカー日本代表監督の加茂さんが食べ物屋さんについて語ったセリフを思い出す。細かい部分は違うかもしれないが、こんな内容だった。「(食事代が)高くてうまいのは当たり前や。安くて、そのうえおいしくないと、ええ店とは言わん」。僕も同感。部屋の模様替えや改装だって、お金をかけずになんとかしたほうが、価値があるんちゃうかな。

Saturday,July 1
昼間、下北沢南口の広島風お好み焼「かどまえ」の前で、建築設計事務所で働くI君にバッタリ。先日の引っ越しの際、夕食をごちそうできなかったので、「きょうの夜、来けへんか?」と誘う。ところが、きょうも仕事があって忙しいので無理です、との返事。晩ご飯はまたもや延期か、残念だな、でも夕食を凝らなくてもいいからまあいいや、と安心していたのところ、午後七時にI君から突然電話。「予想より仕事が早く終わったので、今から行ってもいいですか?」とI君。午後七時二十分、経堂の仕事場から自転車を飛ばしてI君到着。きょうは来ないもんだと決めつけていたため、特別な料理の用意はない。僕が急いで買ってきたビールと、妻が作ってくれたタラコスパゲティで一緒に食事をした。結局、午後十一時半ごろに僕が眠くなるまで、建築、プロ野球、選挙のことやなどを大いに語り、飲みまくる。何度も会っているためか、娘もI君のことがわかっているようだ。I君は娘を可愛がってくれるので非常に助かる。

新連載第4回 2000年6月30日

Sunday,June 18
夜、大学時代の後輩Iくんを呼んでジンギスカンを食べ、大いに飲む。肉もうまいが、Iくんが信濃屋で買ってきてくれた各国ビールも、個性いろいろで楽しめた。はなが十六歳になったら結婚させてくれ、とIくんが酔って冗談を言う。かまへんよ、適当に答えておいた。よく考えたら、同い年の男(Iくんは後輩だけど歳は同じなんです)に「お父さん」と呼ばれるのは、やだな。

Monday,June 19
「フリースタイルの誕生を祝う会」に出席。五分ほど遅れて到着したが、予想以上の人の多さに驚く。当然のことだが、大半が出版業界人で、僕の知った顔はほとんどいない。初対面の人と話すのはそんなに得意なほうではないので、アルコールの勢いを借りるべく、ついついビールを飲み過ぎてしまう。二次会を終え、深夜、タクシーで帰宅。案の定、娘も妻も熟睡している。僕もすぐに爆睡。

Tuesday,June 20
昼前、六本木の広告事務所に勤めるグラフィックデザイナーのSさんから、何カ月ぶりかの電話。なにかと思ったら、急ぎ仕事の依頼だった。午後、打ち合わせのため、麻生十番のある企業へ。これから立ち上げる、インターネットのあるサイトのネーミングとキャッチフレーズを作ってほしい、とのオーダー。考える時間が一日しかない。ミーティングの帰り、保育室で娘をピックアップして戻る。娘にもネーミング制作を手伝ってもらいたいくらいだ。

Wednesday,June 21
徹夜こそしなかったが睡眠時間を大幅に削って、ネーミングとキャッチフレーズを開発。夕方、麻生十番でプレゼンテーションをしたところ、おおむね好評だった。ホッとする。午後六時に保育室へ迎えに行くのは間に合いそうにないので、六本木から妻に電話してバトンタッチしてもらう。バスを待つ間に寄った青山ブックセンターで小説など三冊買い、バスと京王井の頭線を乗り継ぎ帰宅。入浴後、布団の上で娘と戯れる。娘は首を左右に振る「イヤイヤのポーズ」がいたくお気に入りのようだ。

Thursday,June 22
やるべき仕事が別にないのでタケちゃんを誘い、読売ランドのジャイアンツ球場へ行き、イースタン・リーグの試合を観戦。巨人が湘南シーレックスを四対三で敗る。今シーズンから横浜ベイスターズの二軍は湘南シーレックスという名前になったのだが、ユニフォームがやや緑がかったマリンブルーでメジャーリーグのどこだかのチームに似ている。それはともかく、巨人では清原がホームランを打ち、ガルベスから野村へ継投し、シーレックスでは阿波野が登板。二軍のゲームとは思えない、豪華な顔ぶれだった。入場料は七百円也。デーゲームが終わり、帰宅したのが五時半ごろ。まもなくして、デザイナーのAくん、Sくんが遊びに来る。タケちゃんもまじえ、男四人で魚真(うおしん)へ。さんざん飲み食いした後、タケちゃん行き着けのバーへ。あ
あ、野球とビールで一日が過ぎていく。

Friday,June 23
朝、保育室で妻の知人であるアンドレスさんとばったり会う。アンドレスさんは築地にあるデザイン事務所で働くコピーライターで、コロンビア出身。セイン・カミュに負けないくらい達者な日本語を話す。お互いの子供をまじえて今度メシでも食いましょう、と言って別れる。

Saturday,June 24
土曜日なのに保育室に娘を預け、シアターコクーンで大人計画の松尾スズキ作・演出の『キレイ―神様と待ち合わせした女』を観劇。時間が急に飛んだり、同時に進行している二つの物語が交錯したり、体の不自由な人が出てきたり、大人計画らしい芝居だった。十五分の休憩を含めて三時間半と、上演時間は長かったがなかなか良かった、笑えた。松尾さんが書く、ストーリーとほとんど無関係なセリフが好きだ。細かいギャグ系のネタに、世代の近さを感じる。夜、このところ早寝だった娘がかなりグズる。仕方ないか、きょうも預けてしまったんだし。週末なのに保育室で過ごしたので、家に戻っても興奮冷めやらん、というわけか。

新連載第3回 2000年6月22日

Sunday,June 11
治くんが北海道へ帰った。インターネットの独自ドメインを何案か考え、ASAHIネットに郵送で申し込む。希望したドメインが取得できるかどうか、返事が来るまでに一カ月ほどかかるらしい。娘は相変わらす機嫌がいいけど、何度も下痢便をする。午後、妻が娘と並んで昼寝をしていたが、親がとなりに寝ていると安心するらしく、はなも長い時間ぐっすり眠っていた。

Monday,June 12
娘が保育室で下痢便を連発したらしい。どちらかというと僕もお腹はゆるいほうだが、こういうのも遺伝するのかなぁ。家に戻ってからは、朝まで一度も「大」をせず。それにしても、このところのはなは、家ではよく眠る。きょうは、某シネコンのパンフレットに使う第一弾コピーをアップしたのだが、予定より何時間も遅れてしまった。デザイナーのSくんに申し訳なく思う。

Tuesday,June 13
またも雨。朝、NHKの連続テレビ小説『私の青空』を観てから、無印良品で買ったウェストポーチ型抱っこひもに娘を乗せ、下北沢北口の保育室へ家へ戻る。女房が入浴させてくれた娘に乳食とミルクをあたえ、寝かしつけてから打ち合わせのため、明治神宮前へ。午後九時半、疲れ気味で帰宅。娘はまだ眠っていたが、寝ている位置がかなり違っていた。寝相の悪さは、僕ゆずりかも。教訓「悪いとこほど遺伝する」。

Wednesday,June 14
朝、雨のなか、妻と二人で娘を保育室へ連れていく。それにしてもよく降る。梅雨らしい梅雨だ。その後、夫婦で下北沢北口のスターバックスコーヒーへ入ると、保育室仲間のAさんとばったり。下北沢の不動産事情や駐車場の不足ぶりについて話す。昼間、某テレビ局のホームページのなかにある、新ドラマ紹介ページのコピーを作る。ウェブデザイナーへコピーをメールして、すぐに家を出る。午後四時前、赤坂TBS横のスターバックスコーヒーでデザイナーのSくんと待ち合わせ、取引先へ。某シネコンのパンフレットをプレゼンテーションし、五時前には本日の仕事完了。あとは先方の返事待ちだ。帰りがけ、妻と娘と保育室で落ち合い、三人でスピック&スパンをのぞく。帰宅後、娘は六時四十分に寝てしまう。日中、腹這いで動き回り、疲れたのだろう。娘が七時四十分に起きたので、母乳・ミルク・離乳食をあたえ、続いて入浴タイム。その合間にテレビをつけると、きょうの巨人・横浜戦は「球音を楽しむ日」と名付けられ、鳴り物なしデーだそうだ。騒々しい応援のないプロ野球は大歓迎だ。スタジアムにおける集団での大声援は、スナックで他人のカラオケを聴かされるのと同じくらい、僕にとって不快だ。

Thursday,June 15
ようやく晴れた。朝、娘を保育室へ送ったあと、いったん戻り、午前十時過ぎに妻と二人でAさん宅へ伺う。デザイナーのAさんとは知り合ってしばらく経つが、お互いにどんなクライアントを担当してしているか話したことがなかった。Aさんに作品ファイルを見せ、Aさんがやってきた仕事を拝見する。Aさんは広告をはじめ、雑誌のデザイン、書籍の装丁まで幅広く手がけられておられるようだった。お昼過ぎまで話し、今度一緒に仕事をしましょう、といって別れた。夕方、壁画ペインティングを生業としているタケちゃんが、ふらりと遊びに来る。そのタケちゃんも誘い、松蔭浩之「STAR」展のオープニングパーティに顔を出すため、表参道のミズマアートギャラリーへ。パーティが六時からなので、いつもより三十分早い午後五時半に娘をピックアップしに行く。都心へ向かうからラッシュとは逆方向だが、それでも下北沢から乗る小田急線新宿行はそれなりに混んでいる。途中、代々木上原で千代田線に乗り換えて表参道に着くまで、折り畳んだベビーカーをタケちゃんが持ってくれたので、非常に助かる。幼い子連れで電車に乗るのは、それほど楽じゃないですから。子連れなので長居せずにパーティを切り上げ、下北沢へカムバック。タケちゃんもまじえ、お好み焼きぼちぼちで、晩飯を食う。ぼちぼちには小上がりがあるので、子連れでも行けないことはない。畳に寝かせておけば、なんとかなるしね。下北沢には、子連れで行きやすい食べもの屋がほとんどない。

Friday,June 16
娘の股が赤くはれ上がり、痛みで泣きやまないので、保育室を欠席させることにした。赤ちゃんの肌は敏感なので、大小便をしたあと、できるだけ早くきれいにしてあげないと、おしっこやうんちでかぶれてしまうことがあるのだ。で、赤くかぶれたうえに、おしっこがかかるとひりひり染みるようだ。家では大小便のあと、迅速なおもつ替えを心がけているが、保育室ではなかなかそうもいかないのだろう。保母さんだって、うちの娘だけを見てくれているわけではないので(子供の数に対して、保母さんの数がやや少ないので)、おむつ交換のタイミングが遅れやすいのかもしれない。きょう一日は、娘が小や大をするたびに風呂場に連れて行き、シャワーで股間やお尻を洗ってあげることにする。昼間、妻の旧友の女性が遊びに来たが、夫婦二人がかりで、何度も何度も娘を洗っているのを見てびっくりしていた。手間をかけた甲斐あって、娘の股間の赤みは、寝る頃にはかなりひいていた。きょうはお座りができるようになったし(両手を前に突きながらだが)、腹這いでかなり速く進めるようになった。めちゃめちゃうれしい。僕の両親にもらったピンクのゴムボールを、娘はいたく気に入っており、自分で転がしてはつかまえて、を繰り返しながら床を這い回っていた。

Saturday,June 17
午後から、知人の結婚式・披露宴へ。まずは式に出るため、家の近くでタクシーを拾い、高輪教会へ。式の最中、娘を抱っこしていたのだが、途中でぐずりはじめたので迷惑をかけてはいけないと思い、教会の図書室へ避難させてもらう。腹這いウォークを覚えてからは、抱っこされるよりも自分で自由に動き回っているほうが楽しいようだ。図書室でも少しぐずっていたが、賛美歌「父なる神のさずけまし」の演奏・合唱がはじまった途端、上機嫌になる。クリスチャンになりたいのか、はな。式が終わるといったん帰宅し、下北沢西口に出来たばかりの託児施設に娘を預け、夫婦二人で披露宴会場で向かう。披露宴は、表参道のフレンチレストラン「マノワール・ディノ」で午後七時半までの予定。通園している保育室は七時までしか子供を預かってくれないので、仕方なく二十四時間営業の託児施設へお願いしたのある。いつもの保育室以外のところに娘を預けるのは初めてだったので、心配で心配で…。でも、子供なしで出席したおかげで、おいしい料理とワインをゆっくり味わうことができた。娘抜きで食事をするのは、出産以来初めてのことだった。午後八時過ぎ、娘を引き取りに託児施設へ伺う。預けたときは保母さんが三人いたのに、一人しかいなかったのでびっくり。と思ったら、別の保母さんがコンビニエンスストアの弁当らしきものが入ったビニール袋を下げて戻ってきた。こら、託児業務をすっぽかして、何しとんねん。仕事場で晩ごはんを食べるってわかってるんやったら、あらかじめ弁当を持参するとか、出前を取るとか考えんかい。「保母さん一人状態」のおかげで、託児施設にいた子供四人とも、泣いとったやないか。もう預けへんで、と心に誓って帰路につく。はなちゃん、ごめんな。

新連載第2回 2000年6月12日

Saturday,June
3妻が熱を出す。隣の駐車場が閉鎖され、コンクリートの地面をはがす工事が行われる。騒音もすごいが、ドリルの振動で部屋が揺れまくる。工事作業員の人が「ご迷惑おかけしますが、今日中には終わりますので」と、おかきの包みを持ってくる。「おこげさんおにぎりの味 助次郎」という、おにぎり型のせんべいみたいな菓子。食べてみると、なかなかの美味。轟音に腹が立っているのに、せんべいには感動してしまう。自分がいやしく思える。娘はすさまじい音量をものともせずに昼寝をしていた。なかなかたくましいやっちゃ。

Sunday,June
4朝刊を見て笑った。阪神がまたもや、遠山、葛西、遠山、葛西の投手リレーをやった。朝日新聞には「九回、定番となった遠山と葛西を交互に使う策をとり、三安打で一点を失いながら辛くも逃げ切った」とある。そうか、定番なんだな。昼前、近所で行われていたフリーマーケットで娘の服や肌着を買ったあと、下北沢西口のイタリアンレストランで知り合いのグラフィックデザイナーAさん一家と食事。Aさんの愛息と、うちの娘は同じ保育室に通っている。ランチを済ませたあと、歩いて七、八分のAさん宅へおじゃまする。Aさんの住まいは、かなり広いうえに収納も充実していて、うらやましい。Aさんは、おむつ交換はもっぱら奥さんにまかせていて、奥さんが不在のときしか息子のおしっこやうんちの世話をしないらしい。僕は一応、娘のおむつ交換もしているが、男性はいやがる人が多いように思う。二人の娘を持つ僕の兄も、「大」のときのおむつ交換はできれば勘弁してほしいといっていた。そんなもんかな。夕方、ロッキング・オン社の雑誌『ブリッジ』のアートディレクション&デザインを担当しているMさんが、Aさん宅へファミリーで登場。Aさんの子供がが一歳四カ月、Mさんの息子が十カ月、うちの娘が七カ月。子連ればかりで集まることなど、以前は想像したこともなかったが、今後はこういう機会も増えるんだろうな。当たり前だが、子持ち同士で会うとやはり気が楽だ。子供が少々のいたずらをしてもお互いさまだから、だれも迷惑な顔をしたりしない。子を持つまでは、どちらかというと子供が好きでなかった自分が、そういう場にいる。人生は先がわからない。

Monday,June 5
娘を保育室に送り届けるないなや、麦茶を持ってきていないことに気付く。いったん家に戻り、ふとんを干し、皿を洗い、ピジョンの哺乳瓶に麦茶百二十CCを入れ、保育室へ。帰りがけ、博文堂書店で雑誌『ブレーン』を買ったあと、グルメシティの二階で花王スーパーメリーズ(六〜十一kg、M、六十枚)を購入。昼食はビーンズキャットへ。ここのコンビーフ・チャーハンは予想外にうまい。ふだんはコンビーフなど食べないのだが、これならいける。食事中、このfreelancer's columで連載をしている編集者・小森収さんが店に入ってくる。何度もお見かけしているのだが、ちゃんとしゃべったことがない。小森さんはいつ見ても本を読んでいるし、邪魔をしてはいかんとの思いから、言葉を交わさずに終わってしまう。次回は話しかけてみますね、小森さん。帰宅後、仕事先二カ所に連絡をとり、明日の打ち合わせ時間を決定。その後、妻に散髪をしてもらう。バリカンは安上がりでええ。夜、娘を風呂に入れ、新たな発見。右手で娘を抱きかかえ、湯船につかると娘が右手で水面をパシャパシャ叩き、はね上がった湯が僕の顔を直撃した。僕が「ぎゃあ」と声をあげると、娘は大喜びできゃっきゃっと笑う。娘が右手をぱちゃぱちゃさせるたびに、僕が「ひゃー」「やられたー」などと叫ぶと、もう喜んで喜んで。あまりに楽しくて、五分くらい続けてしまった。お風呂で娘が大笑いしたのは初めてだ。「はなの水遊び記念日」と勝手に名付ける。

Tuesday,June 6
夕方、赤坂の広告代理店でデザイナーのSくんをまじえて打ち合わせ。某シネマコンプレックスのパンフレット制作を進めているのだ。夕食後、妻が浴槽で、娘との水遊びに挑戦。やはり「やられたー。かんにんして」などと叫ぶと、娘はえらい喜びよう。ただ、娘が途中で眠くなったみたいで、昨日ほど長くは続かず。夜九時くらいのことである。

Wednesday,June 7
妻の弟、治くんが北海道から到着。仕事のため、きょうから日曜日までわが家に滞在予定だ。娘のはなはゴールデンウィークにも彼と会っているためか、興奮したり、緊張したり、イライラしたりしている様子はない。といってもうちの娘は、ほとんど人見知りをしないんだけど。

Thursday,June 8
パソコンショップ・ツクモでAirMac CARDとAirMac Base Station、LANケーブル二本を購入。真上の部屋を仕事専用スペースとして新たに借りることにしたのだが、上下の二部屋のパソコン機器をワイヤレスでつなぐつもり。要するに、パソコンAからパソコンBへの指令を無線で飛ばすのだ。上の部屋にPower Macintosh7500/100、プリンタ、スキャナ、本棚などを持って上がり、下の部屋にはもう一台のマシンMacintosh PowerBook G3 333MHz/512Kを残すことにする。ところが、あっさり問題発生。うちのPowerBookには、アップル社純正のAirMac CARDが取り付けられないことが判明したのだ。PCカード・スロットは付いているのだが、AirMac CARD用のスロットがなかったのである。結局、妻の弟がインターネットで調べてくれた、PCカード・スロットに差し込めるワイヤレスカードに変更することに。夕方、再度ツクモへ出向き、返品するAirMac CARDを店員に渡しておいて、娘の引き取りに保育室へ。娘を抱え、ツクモへ戻り、差額の支払いやカード名義のサインをする。赤ん坊を抱きながら、サインをするのはこんなに難しいとは知らなかった。ペンや用紙を掴みたがるし、舐めたがるからだ。きょうはコンピュータがらみの名称が頻出し、いつもより読みにくかったかもしれない(ふだんも読みやすいかどうか知らないが)。少し反省する。

Friday,June 9
朝、娘の体温を測ると三十七度ちょっと。娘にしては高めだが、機嫌は良さそうなのでいつものように保育室へ連れて行く。保母さんによると、夕方には三十六度三分に下がっていたとのこと。夜、妻と娘、治くんと僕の四人で焼き肉を食べに行く。途中、娘がぐずり出したので、抱っこしていったん店外へ出る。ついでに、焼き肉屋のとなりにある短編映画館トリウッドをのぞく。映画のチラシを何枚かもらい、近いうちに観に来ますね、といって去る。昨年十一月に娘が生まれて以来、外で焼き肉を食べたのは初めてだった。僕は野菜も魚も好きだし「とにかく肉派人間」ではないが、ひさしぶりだし、うまかった。余は満足じゃ。

Saturday,June 10
昨夜のうちに治くんがインストロールしてくれたソフトを使って、パワーブックから中央競馬の馬券を購入。ワイド馬券にトライしたのは初だったが、あっさり的中。ところが、掛け金の配分を間違えたため、当たったのに金額はマイナス。ワイドの払い戻し金は、おおむね複勝と同じくらいなのだろうか。予想したより安かった。ワイドは当たりやすいが、儲かりにくいようだ。夕方、受け取らなければいけないものがあり、ベースボール・マガジン社の出版編集部へ。水道橋駅に到着したのは午後五時。東京ドームで巨人対ヤクルト戦があるため、改札周辺がごった返していたので、帰りは九段下駅から半蔵門線に乗った。夜、娘が腹這いのまま、初めて進んだ。正確にいうとバックしたり、くるくる回転した。娘は本棚の最下段を眺めまわし、銀色の背表紙の美術書へ手を伸ばしていた。きらきら光っていたので、気になったのかもしれない。こういうことは他人から見れば些細なものかもしれないが、親としては大きな喜びだ。娘の動きを観察しているうち、タモリが昔やっていたイグアナの形態模写を想い出した。

新連載第1回 2000年6月3日

二○○○年五月のある夜のこと。下北沢北口のHachiでフリースタイル代表の吉田保さんからホームページでの連載を依頼されました。吉田さんとは三年ほど前、下北沢南口の焼鳥屋でこ助で出会って以来の付き合い。吉田さんが編集した、片岡義男氏の著書『日本語の外へ』が発売された直後だったと記憶しています。同著が編集者・吉田さんの顔写真入りで朝日新聞に紹介され、その記事を僕の妻が読みました。掲載の数日後、僕と妻はたまたまでこ助へ行き、カウンター席で偶然となり合わせたのが吉田さんだったんです。もちろん、こちらから話しかけたのですが、妻も彼の顔写真をよく覚えていたものだと、今さらながら感心します。連載の内容については少し悩みましたが、吉田さんの助言もあり、フリーランスのコピーライターの子育て日記、のようなものにしようと思います。書いてみないことには、どんなものになるか自分でもわかりませんが。

Friday,May 26,2000
生後六カ月半過ぎの娘はなが、冬季下痢症にかかった。二、三日前から下痢を連発しはじめたのだが、病院へ連れていくと、医者から「おそらくロタウイルスでしょう」といわれる。耳慣れない名前だったので聞き直すと、「ロシアのロに、たんぼのた」との返事。ロ田ウイルスという文字を浮かべてしまった。たんぼのた、と聞いて、カタカナをイメージする人はあまりいないと思う。タンザニアのタとか、タニシゲのタではだめだろうか。冬季下痢症は別名ロタウイルス性下痢症ともいい、もともとは寒い時期にかかる乳幼児の下痢症だったそうだが、最近は暖かいシーズンでもみられるとの話。さらにその医師は「けいこうかんせんです」と発言。けいこう!? 傾向!? 蛍光!? 一瞬、理解できなかったが、漢字表記すると「経口感染」。広辞苑によると「飲食物などを介し、口から病原体が体内に侵入すること」。育児をはじめると、さまざまな医療用語に出会う。

Saturday,May 27
下痢の娘を連れて、僕の実家がある大阪・高槻市へ。長距離の移動はできれば六カ月を過ぎてからにしてください、と医師や看護婦にいわれていたので、これが誕生後、初の帰省。親戚に娘を紹介するためだ。のぞみの車中で、はなが2度、腹を下すが、熱海あたりから熟睡してくれ、予想より楽だった。料金は高いのに、のぞみには、百貨店にあるような授乳室やおむつ替え設備がない。残念というより、腹が立つ。子供ができてみると、いろんなことが気になる。

Sunday,May 28,2000
娘を寝かせるため、妻が仰向けに抱っこしたまま大きく揺らしていると、親戚たちから「そんな乱暴なことしてええの?」と軽い非難を浴びる。たしかに見ようによっては、揺らすというより、振り回しているといえるかもしれない。が、娘はその方法で寝はじめることが多い。子育てに対する考え方は、一人一人違うものだ。

Monday,May 29
帰京。新幹線のぞみの車中、缶入り緑茶を折りたたみテーブルに置いた瞬間、娘が蹴っ飛ばしてしまい、おくるみ(冷房対策のため、毛布のかわりに持ってきた)や床がびしゃびしゃに。教訓「小さな子連れは、缶入りより、ふたができるペットボトル」。東京駅に着いたあと、丸の内のCABANE de ZUCCa(カバンドズッカ)をのぞく。ズッカのショップとカフェ(ドラゴンフライ カフェ)が並んであるのだが、赤ん坊連れだと気をつかいそうなカフェだったので、入店はパスする。メニューをちらっと見たが、ランチが千円以下、ドリンクはテイクアウトしたほうが安い。店内で飲むのと、持ち帰るのとで価格差をつけるのはいいやり方だ。ドラゴンフライ カフェの前で、若い男性ビジネスマンのこんな会話が耳に入る。「丸の内のOLが、ズッカ着るかなー」

Tuesday,May 30
娘を保育室へ連れていく。下痢で休ませたり、大阪へ戻ったりで一週間ぶりになったため、保母さんに預けて帰ろうとすると、悲しそうな顔で泣き出す。切ない。保育室というのは、認可外の託児施設。家からいちばん近い区立保育園が、一歳以上の子供しか受け入れていないので民間施設の保育室にお願いしているのだ。

Wednesday,May 31
赤坂の広告代理店での打ち合わせの帰途、表参道のウェンディーズで妻と待ち合わせて、コピーライターPさんの事務所へ。昼間は子供を預けているけど洗濯物が増えたり、育児がらみでやることがいろいろあって、出産前と同じようには仕事がはかどらない、と妻が語ると、思ったことの半分できればいいと考えたほうがいいよ、と二人の子を持つPさんは言ってくれた。こういうふうにアドバイスされると気持ちが楽になる。

Thursday,June 1
昼間、知り合いの結婚式・披露宴で着る服のお直しのため、新宿のバーニーズへ。帰宅後、某テレビ局のフリーペーパーのためのコピーを書き、デザイナーへメール。18時に保育室へ行き、娘をピックアップ。晩ご飯を食べながら、テレビで広島-巨人戦を観戦。マルティネスの打席が映ると、娘が画面を凝視しているような気がする。マルちゃんのファンなのかも。

Friday,June 2
渋谷東急文化会館五階の喫茶マウンテンで、プロデューサーのKさんと会う。打ち合わせ終了後、三省堂書店に寄り、仕事の資料にするオーストラリア関係の本を二冊購入。夜、ぼちぼちでお好み焼き、焼きそば、すじ塩をテイクアウトして食べ、ビールを少し飲む。テレビで巨人戦をちらちら観る。ゴジラ松井の二発はすごかったし、江藤のホームランは滞空時間が長くて美しい。娘が風呂上がり、すぐに眠ってしまったので、再度テレビをつけ、TBSの「池袋ウエストゲートパーク」を観る。このドラマは、劇団・大人計画の俳優でもある官藤官九郎が脚本を書いているのだが、なかなかおもしろい。大人計画の役者も何人か出ている。池袋を縄張りとするチーマーのボスを窪塚洋介が演じているのだが、これがなかなかイケる。少しオーバーアクション気味に見えないこともないが、演技を楽しんでいるのが伝わってくる。『12モンキーズ』のブラッド・ピットと同じくらい、楽しそうに見える。タイガースは藪・先発でまたも敗れる。藪でダメなら仕方ないか。セ・リーグは阪神だけ借金生活。

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